窓の外、遠くから聞こえる下校途中の生徒達の笑い声が、どれほど羨ましかったか。
だからこそ、何日も父親に頭を下げ、ようやく勝ち取ったこの高校生活では、奪われていた時間を取り戻すように思い切り「青春」を謳歌したかった。
「……あわよくば、恋愛とかも、ちょっとくらい……」
完全に自分の世界に入り込み、ぽつりと夢の続きを漏らしかけて――。
「いや! なんでもない、今のはナシ!」
新那は猛烈な勢いで首を振り、自分の両頬をパチンと叩いた。
完全に油断していた。背後に、世界で一番その単語を聞かせてはいけない人間が立っていることを失念していた。
恐る恐る振り返る。案の定だった。
「恋愛、と言ったかい?」
ぴくり、と父親の端正な眉が跳ね上がった。その目は笑っていない。
「言ってない! 空耳だよ、パパ!」
「いや、確かに言った。『れんあい』と。私の鼓膜がその音を正確に捉えた」
「言ってないもん! 『連休』って言ったの! ゴールデンウィークが楽しみだなって!」
「新那、嘘を吐くときは右の眉が僅かに上がる。私の目は誤魔化せないぞ」
父親はフリルのついた高級なスリッパを鳴らし、難しい顔をしてがっしりと腕を組んだ。
その鋭い眼光と険しい表情は、経済ニュースで見る「数多の競合を捩じ伏せてきた冷徹な企業経営者」そのものだ。
今の彼は、人生最大にして最悪の重大案件について、脳細胞をフル回転させている。
「高校生に恋愛など、あまりにも早すぎる。そもそも義務教育を終えたばかりの若輩者が、神聖なる学び舎で異性と交際するなど言語道断。学業の妨げ以外の何物でもない。断固として認めんぞ」
「もう! 全然早くないよ! 世間の高校生はみんな恋したり失恋したりして大きくなるの!」
「そうなのか……? 現代の日本の教育指導要領には、そのような倫理的リスクが含まれているのか……?」
本気で頭を抱えて深刻に悩み始めた父親を見て、新那は呆れ半分、諦め半分で小さく吹き出した。
昔からそうだ。この人は、仕事においてはどれほど冷酷で論理的な決断を下せても、娘のことになった途端に全ての理性が綺麗さっぱり消し飛んでしまう。
「パパってビジネスの天才なのに、私のことになると本当にただの過保護だよね」
「当然だろう」
そこには、一ミリの迷いもない即答があった。
父親は組んでいた腕を解き、一歩前に進み出ると、新那の華奢な肩にそっと手を置いた。
その瞳には、先ほどの経営者の冷徹さはなく、ただ底なしの慈愛だけが湛えられている。
「新那は、私の命に代えても守るべき、世界で一番大事な娘なんだからね。傷つくかもしれない場所に、無防備に放り出す父親がどこにいる」
その言葉に、一滴の嘘偽りもないことを新那は知っている。
だからこそ、新那はそれ以上強く言い返せず、少し困ったように眉を下げて笑うしかなかった。
だからこそ、何日も父親に頭を下げ、ようやく勝ち取ったこの高校生活では、奪われていた時間を取り戻すように思い切り「青春」を謳歌したかった。
「……あわよくば、恋愛とかも、ちょっとくらい……」
完全に自分の世界に入り込み、ぽつりと夢の続きを漏らしかけて――。
「いや! なんでもない、今のはナシ!」
新那は猛烈な勢いで首を振り、自分の両頬をパチンと叩いた。
完全に油断していた。背後に、世界で一番その単語を聞かせてはいけない人間が立っていることを失念していた。
恐る恐る振り返る。案の定だった。
「恋愛、と言ったかい?」
ぴくり、と父親の端正な眉が跳ね上がった。その目は笑っていない。
「言ってない! 空耳だよ、パパ!」
「いや、確かに言った。『れんあい』と。私の鼓膜がその音を正確に捉えた」
「言ってないもん! 『連休』って言ったの! ゴールデンウィークが楽しみだなって!」
「新那、嘘を吐くときは右の眉が僅かに上がる。私の目は誤魔化せないぞ」
父親はフリルのついた高級なスリッパを鳴らし、難しい顔をしてがっしりと腕を組んだ。
その鋭い眼光と険しい表情は、経済ニュースで見る「数多の競合を捩じ伏せてきた冷徹な企業経営者」そのものだ。
今の彼は、人生最大にして最悪の重大案件について、脳細胞をフル回転させている。
「高校生に恋愛など、あまりにも早すぎる。そもそも義務教育を終えたばかりの若輩者が、神聖なる学び舎で異性と交際するなど言語道断。学業の妨げ以外の何物でもない。断固として認めんぞ」
「もう! 全然早くないよ! 世間の高校生はみんな恋したり失恋したりして大きくなるの!」
「そうなのか……? 現代の日本の教育指導要領には、そのような倫理的リスクが含まれているのか……?」
本気で頭を抱えて深刻に悩み始めた父親を見て、新那は呆れ半分、諦め半分で小さく吹き出した。
昔からそうだ。この人は、仕事においてはどれほど冷酷で論理的な決断を下せても、娘のことになった途端に全ての理性が綺麗さっぱり消し飛んでしまう。
「パパってビジネスの天才なのに、私のことになると本当にただの過保護だよね」
「当然だろう」
そこには、一ミリの迷いもない即答があった。
父親は組んでいた腕を解き、一歩前に進み出ると、新那の華奢な肩にそっと手を置いた。
その瞳には、先ほどの経営者の冷徹さはなく、ただ底なしの慈愛だけが湛えられている。
「新那は、私の命に代えても守るべき、世界で一番大事な娘なんだからね。傷つくかもしれない場所に、無防備に放り出す父親がどこにいる」
その言葉に、一滴の嘘偽りもないことを新那は知っている。
だからこそ、新那はそれ以上強く言い返せず、少し困ったように眉を下げて笑うしかなかった。



