ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 この天気のように、晴れやかな一日が過ぎ去ってくれれば、どんなに良いことか。
 けれど、現実というものはそうそう甘くはない。

「おーい、地味助」

 突然背後から声を掛けられて、びくり、と肩が小さく跳ねる。
 反射的に足を止めて振り返ると、そこには、明るい髪に軽い笑みを浮かべた青年が立っていた。
 いかにも人付き合いに慣れていそうな雰囲気の男である。

「……あ、おはよう。佐倉(さくら)君」

 掠れた声で、なんとか挨拶を返す。
 すると、よく同じ講義を選択肢して顔を合わせる佐倉は、すっと笑みを消した。

「おはよう、じゃねーよ。相変わらず地味だなーお前」

 揶揄うような口調だったが、悪意は薄い。
 ただの軽口だと分かった。それでも、言葉は僅かに胸の奥に引っ掛かる。
 佐倉から一瞬だけ視線を逸らし、それから困ったように笑った。

「……そうかな」
「そうだよ。もうちょいシャキッとしろって」

 肩を軽く叩かれる。ぐらりと体が揺れて、慌てて体勢を立て直した。

「はは……」

 それ以上、言い返す言葉は出てこなかった。
 佐倉はそれを気にした様子もなく、「じゃ、先行くわ」と手を振って歩いていく。その背中を見送りながら、小さく息を吐いた。
 気にしていない、つもりだった。
 実際、深く考え込むこともない。ただ、いつも通りの遣り取りがあっただけ。それだけのことだ。
 それでも、胸の何処かに僅かな重さが残る。

(……面倒くさい)

 感じるそれを振り払うように耳にイヤホンを着け、音楽を流しながら再び歩き出した。
 大学に着き、教室に入れば講義を受ける。ノートを取り、教授の話を聞き、時折ぼんやりと窓の外を見だけ。
 誰かと特別に話すこともなく、目立つこともなく、ただ時間が過ぎていく。
 それは昨日と同じで、きっと明日も同じだ。
 大きな出来事など何もない。小さな変化すら見つからないまま、日々は静かに積み重なっていく。

「この後カラオケ行こーよ!」
「いいねぇ! クーポンあったはず」

 気付けば講義は終わり、周囲のざわめきと共に意識が現実へと引き戻された。

「ゲーセンにでも行くか……」

 席からゆっくりと立ち上がり、鞄を肩に掛ける。
 何処かへ寄るでもなく、誰かと約束があるわけでもない。それでも、足は自然とある方向へ向かう。
 大学の門を出てしばらく歩き、人通りの多い通りに出ると、色とりどりの看板が視界に飛び込んできた。
 音と光が混ざり合う、賑やかな一角。その中に、見慣れた建物がある。
 つい最近新しく改修されたばかりの、見た目はきれいなゲームセンターだった。

「らっしゃーせー」

 自動ドアが開いた瞬間、電子音と機械の稼働音が一斉に押し寄せてくる。
 外とは別の空気。騒がしくて、落ち着かなくて、それでも何処か安心する場所。
 アルバイターの気の抜けた言葉ですら、大学で聞く話し声よりも余っ程心地が良い。