ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 薄暗い一室に、目覚まし時計のか細い電子音が響いていた。
 規則正しく鳴り続けるその音は、部屋の主を急かすでもなく、ただ義務的に時を告げている。
 カーテンは半分閉じられたままで、外の光はほとんど差し込まない。
 床には脱ぎっぱなしの服や空になったペットボトルが転がり、生活感というよりも、放置された時間の堆積がそこにあった。
 音が鳴り始めてから、どれくらい経ったのか。
 布団の中で小さく身じろぎが起きる。やがて、もぞり、と何かが蠢いた。
 ぼさぼさの髪をしたまま、青年はゆっくりと上体を起こす。
 瞼は重く、焦点も定まらない。目覚まし時計に手を伸ばし、探るようにしてボタンを押すと、ようやく部屋に静寂が戻った。

「……あー……」

 意味のない声が、喉の奥から漏れる。
 そのまま再び布団に倒れ込みそうになりながら、なんとか踏み留まった。
 数秒、十数秒ほどその姿勢のまま固まり、ようやく現実に意識が追いついてくる。

(起きなきゃなぁ……)

 そう思っているのに、身体は言うことをきかない。
 重い腰を上げるようにして布団から抜け出し、ふらつく足取りで立ち上がる。
 足元に転がっていた空き缶を軽く蹴ってしまい、からん、と乾いた音が鳴った。
 それにも構わず、彼は洗面所へ向かう。

「うっ、わぁ……やば」

 鏡に映った自分の顔は、思っていた以上に酷かった。
 寝癖は好き放題に跳ね、目の下には薄く隈が浮かんでいる。
 水道を捻り、冷たい水で顔を洗うと、ようやく少しだけ頭が冴えた。
 歯ブラシを口に咥えながら、ぼんやりとした目で鏡を見る。特に何かを考えているわけでもない。
 ただ、流れる時間に身を任せているだけのような、そんな表情だった。

(……腹減ったなぁ………)

 そんなことを思いながら小さな台所に行くが、朝食と呼べるものは無い。
 戸棚から取り出した菓子パンを片手に部屋へ戻ると、ジャンパーが引っ掛かったソファに座る。
 テレビを点けることもなく、スマートフォンを開くでもなく、ただ無音のままパンを囓った。
 味は、よく分からなかった。

「……あー、面倒くさい。大学、行きたくないぃ………」

 一人暮らしだと独り言が増えるとはよく言ったものだが、それは本当だったらしい。
 元々だらしない自覚はあったけれど、一人暮らしを始めてからというもの悪化した気がする。
 着替えも適当だった。
 皺の付いたシャツに袖を通し、ジーンズを履く。最低限、人前に出られる程度には整えたつもりだったが、鏡の中の自分は何処か頼りなく見える。
 廊下に置きっぱなしだった鞄を肩に掛け、玄関のドアを開けた。
 外の空気は思ったよりも冷たくて、少しだけ背筋が伸びる。
 鍵を掛ける手つきは何処かぎこちない。それでも、ゆっくりと歩き出す。
 行き先は、今年で通い始めてから一年目になる大学。
 特別楽しみなことがあるわけでもない。ただ、行かなければならない場所として、そこにあるだけだ。
 人通りの少ない道を選ぶようにして足を進める。すれ違う人の視線を、無意識に避けながら。

「天気良いなー」

 朝の光は確かにそこにあるのに、自分の周りだけ少し色を失っているようだった。
 それでも、歩みを止めることはない。
 今日もまた、同じ一日が始まるのだから。