君の手が動く限り、俺は隣にいたいから

 鋭い冬の風が、再び高台を吹き抜けていく。
 墓石の前に供えられたばかりの白い花びらがサワサワと激しく揺れた。
 頭上に広がる空は、何処までも青かった。
 何処までも高く、何処までも遠く、まるで二人があの薄暗い美術室で初めて最悪の出会いを果たした、あの日のように。
 凌はしばらくの間、眩しそうにその大天空を見上げていた。やがて、覚悟を決めたようにゆっくりと視線を落とし、静かに口を開く。

「なあ、碧南」
「ん?」
「俺さ……」

 そこから先、続くはずの言葉を探して数秒の沈黙が流れた。
 ぶっきらぼうで、自分の感情を他人に伝えることが何より苦手な自分には、酷く珍しいことだった。
 けれど、今日だけは、この冬の光の下でだけは、絶対に自分を誤魔化したくなかった。

「……最初、お前のことマジで大嫌いだった」

 沈痛な面持ちから放たれたあまりの物言いに、碧南が思わずふっと吹き出した。

「くすっ……あはは!  告白の前振りとしては、控えめに言っても最低の部類だね」
「うるせぇ、最後まで聞け」
「はいはい」

 小さく、けれどいつものように悪戯っぽく笑う声。それだけで、凌の肩にガチガチに入っていた緊張が少しだけ和らいだ。
 凌は視線を真っ直ぐ碧南のヘーゼル色の瞳へと戻し、言葉を紡ぎ続けた。

「勝手に、人が隠したがってる絵の裏側をズカズカ見透かしてくるし」
「うん」
「そのくせ、やたらと偉そうで、ひねくれてるし」
「うん」
「四六時中、馬鹿みたいに青空ばっかり描き殴ってるし」
「ちょっと、それさっきからただの悪口になってない?」
「……悪口じゃねぇよ。褒めてんだ」

 碧南はまた、細い肩を小さく揺らして楽しそうに笑った。
 その、世界で一番美しいはずの笑顔を見つめていると、凌の胸の奥が、締め付けられるようにして少しだけ痛む。
 この愛おしい笑顔を自分はあとどれくらい、すぐ隣で見つめ続けることができるのだろうと、どうしても冷酷な未来を考えてしまう。

「でもさ……」

 凌は一度視線を落とし、自らの胸の鼓動を確かめるようにして呟いた。

「気づいたら、俺、お前の描く絵ばっかり目で追ってたんだ」

 地を這うような、静かで、けれど熱を孕んだ声だった。

「なんでか、その時は理由なんて全然分かんなかったけど。……今なら分かる」

 凌は御影石の墓石のそのもっと向こう、無限に続く冬の青空を仰ぎ見る。

「お前の絵にはさ、ちゃんと、お前自身が息づいてたんだよ」

 碧南の、笑っていた表情がピタリと止まった。

「技術が上手いとか下手とか、そんなちっぽけな話じゃなくてさ。どのキャンバスを見ても、お前がその時、どれだけ必死に世界を見て、何に心を震わせてたのかが、全部分かる気がしたんだ」

 あの埃っぽい部室の日々。
 二人で夕陽を眺めた屋上。
 そして、あの日、お互いの青が激突したコンテストの会場。
 駆け抜けていった全ての季節が、走馬灯のように凌の脳裏を過っていく。

「だから……本当はどうしようもないくらい悔しかった。当時の俺には、そんな風に自分の魂を削り取ったような絵は、絶対に描けなかったから」

 ぽつりと、心の底に溜まっていた本音が零れ落ちる。
 碧南はもう笑っていなかった。ただ静かに、唇を噛み締めながら凌の言葉を聞いている。

「でも、今は違う」

 凌は吹っ切れたような穏やかな笑みを浮かべた。

「お前が俺の前に現れてくれたから、俺は、自分の人生を懸けて描きたい本当のものを見つけられたんだ」

 それは、ただの風景画ではない。
 毎秒ごとに移り変わる空であり、その下に広がる鮮烈な青であり、誰かが誰かを狂おしいほどに想う不器用な気持ちであり、人間がこの世界に確かに生きたという、泥臭い証そのものだった。

「だからさ。俺の退屈だった人生を、めちゃくちゃに変えちまったのは――間違いなく、お前だよ、碧南」

 再び、激しい冬の風が吹き抜ける。彼女の長い黒髪が、風に遊ばれるようにして揺れた。