想いと共に花と散る

 カビ臭い匂いが鼻腔を突く。何だか妙に蒸し暑い。

「……う、っ……」

 ゆっくりと視界が開けた。
 一番初めに目に入るのは、暗がりに浮かび上がる白い手。
 その次は、赤黒い染みが目立つ細長い木箱。ここが蔵の中だと気づくのは、そのまた一拍後だった。

「っ!」

 なんで。
 どうして。
 何故、ここにいる。何故、戻ってきてしまった。

「そ、んな……」

 帰ってきたって、もう何も無いというのに。
 名前を呼んでくれる人なんて、隣りにいてくれる人なんて、愛してくれる人なんて。
 ここにはいない。
 あの人達がいないと、あの人達の隣じゃないと、もう耐えられないのに。

「や……やだ。やだ、よぉ………」

 あれは、あの日々は、夢ではない。
 確かに生きていたのだ。あの人達は歴史という荒波の中で、目の前で確かに生きていたのだ。

「……ちゃーん」
「おばあ、ちゃん?」

 蔵の外から声が聞こえた。やけに震えた、焦っている声だ。

「雪華ちゃん! 何処にいるの!?」

 違う。あの人達だけではない。
 ここでも名前を呼んでくれる人はいる。愛を教え続けてくれる人がいる。
 行かないと。
 行って、言わないと。心配かけてごめんって。

「雪華ちゃん。こんな所にいたの」
「おばあちゃん……」
「もう、心配したんだよ。夕方になっても散歩に行ったきり帰ってこないんだから」

 え?
 夕方?
 まだ、夕方?
 おかしい、そんなはずはない。たったの半日しか経っていないなんて。

「それに、駄目だよ。こんな所で寝ていちゃ」

 寝ていた。寝ていたのか、半日もここで。
 じゃあ、これまでのことは全部夢? あの人達と過ごした時間は、全部夢だったということ?

「ね、ねぇ、おばあちゃん」
「なあに」

 身を起こして片膝を立てた時、手に何かが当たった。
 重くて冷たい、それでいて確かな強さを感じる何かに。けれど、それにはもう気づかなくて良い。
 気づかない方がきっといい。

「私ね、すっごく幸せな夢を見てたんだ。大好きな人達と過ごした日々の」

 夢だったとしても良い。都合の良い妄想でも、夢物語でも何でも良い。
 自分は幸せだった。
 どれだけ地獄を見たとしても、別れを受け入れるしかなかったとしても。
 愛されて、愛して、幸せだったことには変わりない。

「そっか……それは、良かったねぇ」

 だから、ほんの少しだけ付き合ってほしい。
 まだ眠気が覚めていないから、目覚めるまで昔話に。