想いと共に花と散る

 

 結城雪華───生後二日


 子供の教育番組で聞くようなポップな曲が流れている。
 甘い匂いの中に薬品の匂いが混ざっていた。不快なようでいて、やけに曖昧な安心感がある。

「あっ、見て見て。指、握ってくれた」

 誰かの楽しげな声が聞こえる。優しくて、高くて、柔らかくて、可愛らしい。
 薄っすらと視界が開けた。フィルターが掛かったようにぼんやりとしている。
 その先に誰かの顔が見えた。

「目、目! 目を開けたよ!」

 その人は興奮した様子で頬を赤くして、別の誰かに向かって頻りに訴えた。

「どれどれ……おお、本当だ。大きくて可愛い目だなぁ」

 また別の人の顔が視界を遮る。ぼんやりとしていてどのような顔をしているのかは分からない。
 ただ、どうしてかその声には聞き覚えがあった。
 聞いたことがある、という程度。耳馴染みがあるわけではない。

「雪華ちゃん。お母さんだよ」
「お父さんだぞ」

 左右の手をそれぞれ握られて、何度も呼ばれた。
 雪華ちゃん、と───。







 結城雪華───六歳


「今日からお母さんになってくれる人だ」

 玄関先まで呼ばれて行ってみれば、ようやく帰ってきた父は見知らぬ女の人を連れていた。
 質素な格好で顔色が悪い。塵を見るような目で見下ろしてくる。

「これから、よろしくね」

 新しい母親ができたのは、六歳の時。父が再婚して連れてきたのが今の母親。
 血が繋がった本当の母親の顔は知らない。
 どんな人で、どんな顔をしていて、どんなことをしていたのかなど。

「あんたが殺したのよ。あんたのせいで、前の母親は死んだのよ」

 一度だけ、新しい母親は殴ってきた。
 口の中が切れて血が出るくらい、強く。
 父親に助けを求めても、いつからか見て見ぬふりをするようになって。
 もう、誰も名前を呼んでくれなくなった。







 結城雪華───十一歳


 何時間も車を走らせ、辺りが田んぼに囲まれるあぜ道を抜ける。
 そこからしばらく進むと、大きな屋敷のような家の前に車が止まった。

「よう来たねぇ」

 ほんの少しだけ皺の少ない、若々しい祖母が出迎えてくれる。
 先に父親と母親が家の中へと入っていき、毎度の如く置いて行かれてしまった。
 家で居場所がないように、祖父母の家でも居場所はない。

「雪華ちゃん、ここまで遠かっただろう。中に入ったら、アイス食べようねぇ」

 ただ、祖母だけは嬉しそうに名前を呼んでくれた。
 死んだ母親が付けた名前であろうと、祖母だけは雪華という存在を愛していた。







 結城雪華───結城雪


 居場所なんて何処でも良かった。
 屋根なんて無くて良い、扉なんて無くて良い、畳なんて無くて良い。
 当たり前に名前を呼んでくれる人が隣りにいて。
 優しさを向けてくれる人が隣りにいてくれれば、それで。

『愛しちまった』

 でも、愛を教えてくれたのは祖母ではない。
 本当は出会うはずのなかった、過去を生きていた人だった───。