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皮肉なほど、そこは何も変わっていなかった。
「まあ、綺麗ねぇ」
あの時と変わらず、靴越しにふわりとした柔らかい砂の感触が足の裏に伝わってくる。
ただ一つ変わったとすれば、振り返ってもあの人はいないということ。
靡く髪を押さえつけるつねの横顔から海へと視線を移し、雪は一歩踏み出した。
『──さんっ、早くー!』
過去の自分が走り出し、波打ち際でこちらを振り返る。
大きく手を振って、何度も飛んで、何度も誰かの名前を呼んだ。
『……って海………込む……』
雑音混じりの誰かの声が聞こえた気がした。やけに遠く離れた場所から、囁くような声である。
『そんなドジじゃないですよ……』
それなのに、自分の声だけははっきりと聞こえた。
波打ち際で並んで立つ二人の人影が見える。一人はかつての自分、そしてその隣りに立つ人。
その人の顔には、全てを覆い隠すような濃い靄が掛かっていた。
『俺…、何……たかっ……だ』
不意にその人が振り返った。隣に自分はいるはずなのに、何故かこちらを向いていて。
『なんで俺は、お前を置いていったんだ」
瞬きをした瞬間、もうそこにその人はいない。過去の自分も、薄橙に染まる海も何も。
街中と打って変わって、殺風景な景色が広がっているだけだ。
「……最低」
足取りが覚束ない。蝦夷に来た歓迎会で酒を飲まされた時のように、一歩を踏み出す度に足が縺れる。
それでも、止まれなかった。
またあそこに行けば、隣にあの人が立っていてくれる気がして。また見てくれる気がして。
「なん、で」
もういないと分かっているのに。ここではない何処かの戦場にいるのに。
「私、は……ずっと………」
波打ち際に行っても足は止まらず、ズルズルと誘われるように海の中へと入っていく。
背後で異変を感じたつねと鷹宮が走り出した。
けれど、雪には自分が海の中にいることすら分からない。何処へ行けば、何処まで進めばあの人がいるのか。
ただあの人のことだけが頭の中を支配していて。
「雪ちゃん! 駄目よ! お願い、止まって!」
手を引かれようが、脇を掴まれようが、雪はただ目の前に広がる水平線だけを見続けた。
「ずっと、ずっと……私」
真っ直ぐな一線だったはずの水平線が歪み、空との境界線を失っていく。
手を伸ばしても、前に進もうとしても、一向に距離は縮まらない。
「一緒に、いたかった」



