想いと共に花と散る

 そうして、弁天台場の石垣がついに崩れ落ちる。
 砲撃で抉られた隙間から、数え切れないほどの敵兵が雪崩れ込んだ。
 銃声は止まない。弾薬箱は最早空に近く、限界はすぐそこまで来ていた。

「左翼、後退!」

 誰かの声が掻き消される。
 土方は崩れた石の上に立ち、敵を斬り伏せた。だが斬っても斬っても、次が来る。
 後方で砲撃の爆ぜる音が空気を震わせる。
 砲座の一つが沈黙した。
 視線を走らせると、大鳥が歯を食いしばっている。兵が倒れ、砲身は歪み、弾も尽きかけている。

「……潮時か」

 誰にも聞こえぬほどの声が零れ落ちる。
 その時、伊庭が血に全身を濡らしたまま駆け寄った。

「ここは俺がやる」

 肩を上下させ吐き出す息は荒いが、目はまだ燃えている。
 握っている刀を土方へと向けて、声高らかに宣言した。

「殿は俺が引き受けるぜ。あんたは退け」

 土方は振り向かず、ただ淡々と彼の言葉を一蹴する。

「却下だ」
「何だと」
「殿は指揮官が決めるもんだ」

 そこでようやく振り返り、伊庭と視線を合わせた。
 希望も決意も何も無い。光のない目を向け、あくまでも指揮官としてそこに立っていた。
 伊庭はそんな土方の目を見つめたまま、きつく口を閉じる。

「お前はまだ使う」
「……俺は捨て石で構わねぇ」
「構うさ」

 視線を逸らして吐き捨てられた伊庭の言葉に、土方は迷いなく即答した。
 伊庭の傍を通り過ぎる瞬間、言い聞かせるように言う。

「一人で格好をつけるんじゃねぇ。そういう奴は隊を崩す」

 その言葉を聞かされた伊庭は歯を鳴らすが、何も言い返せず強く刀の柄を握る。
 そこへ、轟音が鳴り響いた。
 大鳥が最後の砲に火を入れ、敵の群れに向ける。

「これで終いだ!」

 弁天台場を震わせる一撃が放たれる。敵陣の先頭が弾け、砂煙が舞い上がった。
 そして、沈黙が続く。
 砂煙がゆっくりと晴れていき、視界が開けた。完全に砂煙が見えなくなった頃、砲身はもう動かなかった。

「弾薬、尽いてしまったよ」

 大鳥の声は静かだった。現実を受け止め、ただありのままを報告するだけ。
 そんな彼の背後から、榎本が歩み出た。
 戦況を見渡し、崩れた石垣、負傷兵、迫る敵影を確認する。
 それからほんの一瞬だけ、目を伏せた。

「……撤退だ。負傷者を優先に隊列を保ち、舟へ下がれ」

 命令は簡潔にまとめられ、それに対して土方は何も言わない。
 ただ頷き、そして声を張り上げた。

「聞いただろ! 隊を乱すな! 退くぞ!」

 兵が動き始め、本格的に撤退が始まる。
 もう何度目かも分からない敗北だ。結局は、時代の流れには抗えない。
 指示を飛ばし立ち止まっている土方に向けて、伊庭が振り返った。

「殿は」
「俺がやる」

 土方は止まっていた足を動かして前へ出る。
 覚悟はとうに決まっていた。指揮官という大勢の上に立つ者として、威厳を見せる時が来たのだ。

(……止まっちまってる)

 いつの日か、雪が贈った懐中時計を懐から取り出し蓋を開けた。
 四六時中持ち歩き、そして戦場にすら持ち出していたから壊れてしまったらしい。
 
「何を言ってるんだ」

 小さなため息を吐いた時、今度は伊庭が土方の肩を掴んだ。
 伊庭だけではない。その背後からは大鳥、榎本が顔を出す。

「一人じゃないさ」

 大鳥は銃を構え直し、榎本は最後尾を見据えた。
 弁天台場は炎と煙の中で崩れつつある。それでも、彼らは散らない。
 退くのもまた一つの戦いのあり方。
 生きて、次へ繋ぐための戦いなのだ。