想いと共に花と散る

 倒れ込む身体を、両腕で受け止める。さほど背丈は変わらないはずなのに、やけに重く伸し掛かってきた。
 温かい。あり得ないほど、温かい。
 その温もりの正体が流れ出る鮮血であるなど、信じたくなかった。
 市村の目が微かに開く。

「……あ、れ……」

 言葉は続かない。血が、唇の端を濡らす。
 周囲では、なおも連射が続いている。兵が次々に伏せ、倒れ、呻く。
 勝てるはずだった。そう思った、その直後だった。
 雪は市村を抱き締めたまま、凍りついたように動けない。

「鉄君……! しっかりしてっ!」

 砲声が耳を打つ中、市村の目は焦点が合わないまま雪の顔を探す。

「……結城さん……良かった……」
「何も良くない! なんで、庇ったのっ……」

 思わず声が裏返る。震えているのは怒りか恐怖か、自分でも分からない。
 市村は小さく息を吐いた。血が喉に絡み、咳き込む。

「……勝てると、思ったんですけど」

 その声には、ほんの少しだけ悔しさが混じっていた。
 目の端に涙を浮かべ、年相応の幼さの残る顔を歪める。

「勝てるよ。まだ……!」

 言いながらも、雪は自分の言葉が空虚だと分かっていた。背後では次々に兵が倒れ、連射は止まない。
 同じ様にこの状況が地獄であると分かっている市村は、力なくも微かに笑った。

「強いですね、結城さんは……。僕と同じ小姓のはずなのになぁ」
「何言ってるの……小姓だからだよ。小姓だから、鉄君も強いよ」

 涙が滲んで、市村の輪郭が歪んだ。けれど、視線は逸らさない。
 市村の血に塗れた指が、雪のシャツの袖を弱く掴んだ。

「……なら、最後まで……見ていてください」

 その瞬間、再び銃声が弾けた。甲板が跳ね、破片が飛ぶ。
 雪は思わず市村の身体を庇うように覆い被さった。
 そんな雪の前に影が落ちる。砲煙の向こうから、一人の男が歩み出たのだ。
 刃を下げたまま、静かに冷たい視線を落とす。
 黒田清隆。土方との斬り結びの熱をまだ纏いながらも、その目は冷えている。
 黒田は雪と市村を一瞥し、そして低く告げた。

「……退け」

 怒号でも威圧でもない。ただ、事実を告げる声だった。
 周囲ではなおガトリング砲が唸り、兵が倒れていく。抗えば、ここで全滅するのは誰の目にも明らかである。
 雪は何も言えない。このまま退けば負けを認める。しかし、立ち上がっても待っているのは全滅だけ。
 市村を抱き締めたまま、黒田を見上げることしかできなかった。
 悔しさと恐怖と、どうしようもない現実が喉を塞ぐ。

「……っ」

 何も言葉にならなかった。目を閉じて、浅い呼吸を繰り返すだけの市村を離さないように抱き締めることしかできない。
 奥歯を噛み締めて身体を震わせる雪の横を、土方が一歩進み出た。

「土方、さん……」

 掠れた声でその名を口にすれば、土方は一瞬だけ雪の方に視線を向けた。
 そしてすぐに逸らし、血煙の中で黒田と真正面から視線を交わす。
 ほんの刹那、刃を握る手に力が籠もった。だが、振るわない。

「総員、退け」

 戦いとはこんなにもあっさり終わるものなのかと、雪は拍子抜けした。

「負傷者を優先しろ。隊を崩すな。舟へ戻れ」

 その一言で、戦場の空気が変わる。攻めの熱が、後退の緊張へと反転した。
 黒田は追わない。ただ静かに立ち、去りゆく背を見送る。
 土方が市村を抱えて歩き出し、悔しげに表情を歪めた伊庭がその背を追った。
 雪は、虚無に陥ったまま立ち上がる。足が震えた。それでも前へ進むしか無い。
 勝てると思った。だが、現実は、機械の連射と共に全てを押し流していったのだった。