潮の匂いが鼻を突き、息を吐けば白くなって溶けていく寒さの中、岸に立つ少年が二人いる。
港はまだ暗い。帆柱の影が、黒々と空を切り取っていた。
「鉄君」
二人以外に誰もいない静かな空間に、雪の声が空気へ静かに溶けた。
呼ばれた本人は、目の前に浮かぶ船を見上げたまま、ぴくりと肩を震わせる。
「ここで何をしているの?」
「……拠点で待っているよう言われたのではなかったのですか」
「答えて」
微かな怒りを滲ませた声は、市村を振り向かせるのには十分だった。
雪へ振り返った市村は、何処か気まずげに視線を逸らす。その仕草すら雪には不快だった。
「……約束のため?」
市村がはっとして顔を上げた。大きく見開かれた瞳は、大袈裟なまでに揺れ動く。
そんな彼の目を真っ直ぐと見つめたまま、雪は一歩を踏み出した。
すると、市村は目を逸らして半歩後ろに下がる。じりじりと近づいては遠のき、近づいては遠のくことが続いた。
「見送りかと思ったのですが……そんなことを聞くためにわざわざここまで来たんですか」
「そんなことって」
「結城さんでしょう。約束なんて戦の前じゃ、簡単に壊れると」
「……っ………」
言い返したいのに、喉の奥で浮かんだ言葉が詰まった。
違う、と言いたい。あれは、突き放したかったわけではなかったのだ。
何も言わずに見送ってしまえば、遅かれ早かれ今ある時間は壊れる。だから、恐怖するのだ。
誰かを失ってしまう未来に。
「だから、何ですか?」
普段の天真爛漫な様子は微塵も感じられない。この時の市村の声は、彼のものとは思えないほどに静かだった。
怒っているわけではない。ただ、何があろうと揺るがない覚悟を持っているのである。
「壊れるかもしれないから、最初から信じないんですか」
「そういうことじゃない」
「じゃあ何です」
遮るように口にした問いは鋭いのに、声音は低く沈んでいる。
その静けさが、余計に二人の間に距離を作った。
「……鉄君は」
雪は一瞬だけ視線を落とした。袴から黒いズボン姿に変わった自身の足元を見つめ、絞り出すように言う。
「どうして、私に言わなかったの……?」
やっと絞り出した本音は、自身でも驚くほどひどく小さかった。
大きく開いたこの距離で市村に届いたのかすらも分からない。ただ、市村の視線が再び雪へと向けられた。
「言えば、止めましたか」
息を呑む音がはっきりと自分にも聞こえた。眉間に皺を寄せる姿を見るなり、市村にもその音は聞こえたのだろう。
即答できなかったことが答えだった。
市村は苦く笑い、蔑みを滲ませた瞳で雪を捉える。
「だからですよ」
胸の奥がひどく冷えていくのを感じた。
身体の奥底から直接体温を吸い取られるような、湧き上がっていた血液が沈んでいく。
港はまだ暗い。帆柱の影が、黒々と空を切り取っていた。
「鉄君」
二人以外に誰もいない静かな空間に、雪の声が空気へ静かに溶けた。
呼ばれた本人は、目の前に浮かぶ船を見上げたまま、ぴくりと肩を震わせる。
「ここで何をしているの?」
「……拠点で待っているよう言われたのではなかったのですか」
「答えて」
微かな怒りを滲ませた声は、市村を振り向かせるのには十分だった。
雪へ振り返った市村は、何処か気まずげに視線を逸らす。その仕草すら雪には不快だった。
「……約束のため?」
市村がはっとして顔を上げた。大きく見開かれた瞳は、大袈裟なまでに揺れ動く。
そんな彼の目を真っ直ぐと見つめたまま、雪は一歩を踏み出した。
すると、市村は目を逸らして半歩後ろに下がる。じりじりと近づいては遠のき、近づいては遠のくことが続いた。
「見送りかと思ったのですが……そんなことを聞くためにわざわざここまで来たんですか」
「そんなことって」
「結城さんでしょう。約束なんて戦の前じゃ、簡単に壊れると」
「……っ………」
言い返したいのに、喉の奥で浮かんだ言葉が詰まった。
違う、と言いたい。あれは、突き放したかったわけではなかったのだ。
何も言わずに見送ってしまえば、遅かれ早かれ今ある時間は壊れる。だから、恐怖するのだ。
誰かを失ってしまう未来に。
「だから、何ですか?」
普段の天真爛漫な様子は微塵も感じられない。この時の市村の声は、彼のものとは思えないほどに静かだった。
怒っているわけではない。ただ、何があろうと揺るがない覚悟を持っているのである。
「壊れるかもしれないから、最初から信じないんですか」
「そういうことじゃない」
「じゃあ何です」
遮るように口にした問いは鋭いのに、声音は低く沈んでいる。
その静けさが、余計に二人の間に距離を作った。
「……鉄君は」
雪は一瞬だけ視線を落とした。袴から黒いズボン姿に変わった自身の足元を見つめ、絞り出すように言う。
「どうして、私に言わなかったの……?」
やっと絞り出した本音は、自身でも驚くほどひどく小さかった。
大きく開いたこの距離で市村に届いたのかすらも分からない。ただ、市村の視線が再び雪へと向けられた。
「言えば、止めましたか」
息を呑む音がはっきりと自分にも聞こえた。眉間に皺を寄せる姿を見るなり、市村にもその音は聞こえたのだろう。
即答できなかったことが答えだった。
市村は苦く笑い、蔑みを滲ませた瞳で雪を捉える。
「だからですよ」
胸の奥がひどく冷えていくのを感じた。
身体の奥底から直接体温を吸い取られるような、湧き上がっていた血液が沈んでいく。



