「大丈夫です」
市村のはっきりとした輪郭のある声が聞こえた。
足元に落としていた視線を上げて、雪は市村の顔を見る。
「土方さんがいるじゃないですか。榎本さんも、大鳥さんも。五稜郭は簡単には落ちません」
励まそうとしてくれているのだと思った。
それは分かるし、気遣いは有り難いものである。
けれど、一度生まれた不安はどうしたって消えない。それを市村にぶつけるのも違う。
「……そうだね」
口にした言葉は、自分でも驚くほど軽かった。
何処か不安げなのに、それでも安心させようという市村の微笑みが痛い。
違う。怖いのは、城が落ちることではない。
土方達が負けることでもない。
あの人が、ああいう目をする時間が増えることだ。
遠くを見る目。もう戻れないと知っている人の目。仲間を失うことを悟る目。
「鉄くん」
「はい?」
「もし……」
続く言葉を言い掛けて、やめた。
もし、前に出ることになったら?
もし、怪我をしたら?
もし、帰ってこなかったら?
そんな言葉、縁起でもないことは分かっている。
けれど、胸の奥ではもう形になり始めていた。
「……何でもない」
首を振って誤魔化すように笑い、雪は再び台所の中に戻ろうとする。
市村は少しだけ首を傾げ、それから柔らかく笑った。
台所の入口から雪の背中へと言葉を投げかける。
「心配しすぎですよ、結城さん」
その言葉は、雪を立ち止まらせるのに十分すぎる程、心の奥深くを傷付ける。
直接殴られたわけではないのに、背後から登記で殴られたような衝撃が襲った。
振り返ってみれば、市村の屈託のない笑顔がある。
同じ場所に立っているはずなのに。
同じ場所を目指しているはずなのに。
彼はもう、前を向いていた。ずっとずっと先を見つめて、進もうとしていた。
(……駄目だなぁ、私)
それなのに、自分はここに縋りついている。
先を進む人達の背中を見て、いつまでも立ち止まっている。
その違いが、急にくっきりと浮かび上がった。
さっきまで秘密を共有して笑っていたのに。
今はもう、見ている景色が違った。
五稜郭の白壁の向こうで、風が鳴る。嵐の匂いがした。
失うのは、命だけではない。隣に立つ形も、きっと変わってしまう。
その予感だけが、静かに胸へ積もっていった。



