想いと共に花と散る

 五稜郭に移ってから、空の色が変わった気がする。
 白壁に囲まれた城内は静かなはずなのに、何処か落ち着かないのだ。
 廊下を行き交う足音が以前よりも早く、戸を開け閉めする音も短い。
 皆、声を潜めているわけではない。けれど、笑い声が長く続かなかった。

「はぁ……」
  
 何度目かも分からない溜息が雪の口から零れ落ちた。
 炊き出しの湯気が立ち昇る台所で、椀を配りながら雪はふと手を止める。

(何かが、足りない。でも……一体何が)

 いや、足りないのではない。
 まだ在るはずのものが先に消えてしまうような、そんな気配。

「結城さん?」

 呼ばれて振り返ると、台所の入口に市村が立っていた。
 いつもと変わらぬ顔で、軽やかな様子である。けれど、その瞳の奥にも微かな緊張が滲んだ。

「どうしました? 顔色が良くないようですが」
「……ううん、何でもない」

 そう答えながら、雪は自分の声が少しだけ掠れていることに気づいた。
 市村は雪の隣に並び、棚から湯呑みを取り出す。

「静かですね」
「うん……静かすぎるくらい」

 外では風が鳴っている。五稜郭の白壁に当たる音は、京で聞いたそれよりも鋭い。

「函館湾、どうでした?」
「えっ?」
「えって、 行ってきたんですよね? 土方さんと」

 湯呑みを片手に、市村はこてんと首を傾げた。
 当たり前のことを聞いただけなのに、どうしてそんなに驚く必要がある。そう問いたげな顔だ。
 
 ───バサバサバサッ!

 湯呑みに入りきらなかった茶葉が辺りに散乱する。
 強い茶の匂いが鼻を突き、二人はしばし見つめ合った。
 長い沈黙が二人の間に流れる。
 
「わあああ!」
「うわああ!」

 ようやく我に返った頃には、足元にまで茶葉が散らばっていた。
 雪は動揺を隠しきれず、慌てて屈むと手で茶葉を掻き集める。その頭上では、沸騰した湯の入った急須が雪の上に落ちないようにと、市村が必死に抱えあげていた。
 完全に台所は混沌とした空気に囲まれた。

「だ、だだだ大丈夫ですかっ!?」
「う、うんっ! ごめんね、ぼーっとしてて……」

 何に? 何に戸惑った? 何が気になった?
 分からない。分かっているはず、でも分からない。
 ただ聞かれただけだ。先日、土方と二人きりで行った海。そこで過ごした時間はどうだったのかと。
 いや、それを聞かれるのはいい。
 問題は、市村がその日のことを知っているという点。

「鉄くん、誰から聞いたの?」
「え? えっとー……。榎本さん、です」

 あの男。
 よくもまあ、他人にあれやこれやと話してくれたものだ。
 半日も席を外すとなれば周りに不審がられるのは当然のこと。土方のことだから、事前に誰かに出掛けることを報告していたとは思う。
 だが、だからと言って榎本が市村にわざわざその話をする必要があったのか。