「圧を掛ける」
土方は、大鳥の問いに迷いなく即答した。
思考を巡らせた末の言葉ではない。最初から決まっていた答えだ。
「だが、斬らねぇ。撃たねぇ。逃げ道だけは、最初から示しておく」
一瞬、誰かが息を呑んだ気配がした。
戦を前にして「斬らない」と言い切る言葉は返って覚悟を要求する。
新撰組副長を務め、数多の戦をくぐり抜けてきた鬼ならではの考えだ。
「矛盾しているようで、理に適っているか」
松平が静かに言った。否定でも賛同でもない、慎重に言葉を選ぶ声だった。
「“戦わずに城を明け渡す”という選択肢を、相手に用意する」
「そうだ」
理解が早い男は、何も大鳥だけではない。この男もまた、己の立場をしっかりと刻んでここにいる。
期待通りの回答を得た土方は、短く静かに頷いた。
「逃げ道があるから、人は刀を捨てる」
その言葉は、まるで誰かの最期を何度も見送ってきた者の実感のようだった。
「だが――……」
意識しなければ気づきもしない一拍の間を置く。
一瞬だけ伏せられた目が再び開く時、一抹の鬼の面影が瞳に宿った。
室内の空気が、目に見えて張り詰める。
「逃げ道が“唯一”だと分からせなきゃ、決断はしねぇ」
選択肢が多い内は、人は決めない。
だが、残された道が一本になった瞬間、人は驚くほどあっさりと武器を手放す。
榎本は、しばらく無言で地図を見つめていた。
その視線の先にあるのは五稜郭。だが、見ているのは城そのものではない。
城を守る者達の心の内。
「……なるほど」
やがて、榎本はゆっくりと息を吐いた。
「じゃあ、決行はいつにする」
「なるべく早い方が良い」
「今は市井の混乱が目立っている。先にそちらを沈めなければ」
「では、三日後の夜はどうだ」
「ああ。そこしかねぇ」
市井の混乱を沈め、街に広がるあらぬ噂を薄めるには日にちを要する。
土方は窓の外へ視線を向けた。
夜と朝の境目。薄く白み始めた空の向こうに、まだ見ぬ五稜郭がある。
「城は、朝を迎える前に終わらせる」
淡々とした声だった。それ故に、重く身体全体へと伸し掛かる。
「銃声も、悲鳴も、上げさせねぇ」
それは慈悲ではない。流血を避けるための、最短で最も冷酷なやり方だった。
誰も異を唱えなかった。沈黙は、全員がその覚悟を呑み込んだ証である。
やがて会議は終わり、各々が席を立つ音が静かに重なる。皆がそれぞれの役目を胸に刻み、部屋を出ていった。
だが、土方だけは最後まで動かずに壁に背を預ける。
地図の中央に描かれた、歪な星形。五稜郭が遠目に入った。
(……守る覚悟のねぇ“城”は、落ちる)
だが、守る覚悟のない“人間”はもっと簡単に壊れる。
その現実を城よりも先に、町が知ることになるだろう。
土方はゆっくりとトレンチコートの裾を翻し、踵を返した。



