恋も料理もじっくり弱火で

 教室に入ると、あちこちから楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
 入学して数日。
 最初は緊張でいっぱいだった教室も、今ではすっかり賑やかだ。

「おはよう、柚葉!」
「おはよー!」

 手を振ってくれたのは、同じクラスになって仲良くなった美波と真帆。柚葉も笑顔で駆け寄る。

「ねえねえ、今日の数学って宿題あったっけ?」
「あるよ。ちゃんとやってきた?」
「もちろん!」

 胸を張って鞄から取り出したのは、ノートではなく、小さな個包装のクッキーだった。

「……それ、おやつだよね?」

 真帆が呆れたように笑う。

「うん!」

 迷いなく袋をピッと破ると、甘いバターの香りがふわっと広がった。さくっ、と小気味いい音を立てて一枚。

「んー!  サクサクで最高!」
「朝ご飯、しっかり食べてきたんじゃなかったの?」
「食べたよ?」
「じゃあなんで今食べてるの?」
「別腹!」

 にこっと笑えば、二人は顔を見合わせて吹き出した。

「柚葉って本当に食べること好きだよね」
「うん!」

 昨日も、その前の日も、朝からこんな会話ばかりしていた。
 二人のツッコミに柚葉は間髪入れずに答える。それが当たり前。

「だって、美味しいものって人を幸せにするじゃん?  幸せの自家発電だよ」
「その理論初めて聞いた」

 結菜が笑いながら肩を震わせる。
 すると柚葉は、今度はスクールバッグをごそごそと漁り始めた。

「今日はね、期間限定のいちご味もあるんだー。ほら、パッケージもピンクで可愛いでしょ?」
「まだあるの!?」
「食べる?」
「いや、ホームルーム前だから遠慮しとく」
「そっかぁ」

 少しだけ残念そうに口を尖らせた、その時。
 キーンコーンカーンコーン、と始業のチャイムが鳴り響く。

「ほら、早くしまって」
「はーい」

 名残惜しそうにお菓子をポケットへ滑り込ませ、柚葉は席へ着いた。
 ほどなくして担任が教室へ入ってくる。

「おはようございます」
「おはようございます!」

 元気な挨拶が教室に響く。

「今日は放課後に、体育館で部活動紹介があります」

 その一言に、教室がにわかにざわついた。

「もう部活決めた?」
「私はバスケ部かな」
「吹奏楽も気になる!」

 あちこちからそんな声が飛び交う。
 柚葉も頬杖をつきながら、ぼんやりと考えを巡らせた。

(部活かぁ……)

 運動はあまり得意じゃない。文化部もいろいろあるらしいけれど、せっかくなら高校でしかできないことをやってみたい。

「各部活動の説明を聞いて、興味があるところはぜひ見学に行ってみてください」

 前後の席から聞こえてくる賑やかな会話に耳を傾けながら、柚葉は配られたばかりの「部活動紹介一覧」のプリントを机の上に広げた。
 運動部、文化部、それにちょっと変わった同好会まで。B4サイズの藁半紙には、小さな文字がぎっしりと並んでいる。
 どれにしようかな、と柚葉は上から順番に指でなぞりながら眺めていった。

 ――野球部。毎日泥だらけになって白球を追いかけるのは、運動音痴の自分にはさすがにハードルが高い。

 ――サッカー部。マネージャーという選択肢もあるけれど、冬のグラウンドで選手にドリンクを配る自分を想像して、寒さで身震いする。

 ――吹奏楽部。楽器が演奏できたら格好いいけれど、酸欠で倒れる未来しか見えない。

 ――茶道部。お茶菓子は魅力的だが、あの正座の痛みに耐えられる自信がなかった。

 ――写真部。カメラを構える姿には憧れる。けれど、もっと。もっと自分の本能を直撃するような何かがあるはずだ。