恋も料理もじっくり弱火で

 ――その日の夜、緒方家のダイニング。
 いつもなら「今日のご飯は何!?」と目を輝かせて真っ先に席につくはずの柚葉が、目の前に並んだハンバーグを前にして、箸を持ったままぼんやりと宙を見つめていた。

「……柚葉?  どうしたの、大好きなハンバーグだよ?」
「え?  あ、うん……ちょっと、今日はお腹がいっぱいで……」
「ええっ!?」

 母親が悲鳴に近い声を上げる。あの『ブラックホール』とまで称される食いしん坊の娘が、夕飯を前にして「お腹いっぱい」などと言うのは、天地がひっくり返るほどの異常事態だった。

「貴方、風邪!? 熱でもあるんじゃないの?」
「ううん、元気だよ。ちょっとおやつ食べすぎちゃって……」

 嘘ではない。放課後の調理室で、世界一贅沢で、世界一甘い、先輩特製のふわとろオムライスを完食してきたのだから。
 けれど、お腹以上にいっぱいだったのは胸の奥だった。

(『俺が君を特別扱いしても、もう勘違いじゃないってことでいいと?』って……)

 あの時の秋月先輩の低くて甘い声、髪を撫でてくれた手の温もり、そして指先のケチャップを舐めとった仕草が脳裏に焼き付いて離れない。
 思い出すだけで顔が火照り、ハンバーグの味が全く頭に入ってこないのだ。
 結局、ほとんど箸が進まないまま「ごちそうさま」と部屋に戻った柚葉だったが、リビングの母親の心配はピークに達していた。
 あろうことか、「柚葉がご飯を食べないのよ!  学校で何かあったの?」と、隣の家に住むいとこであり、事情を知っていそうな寛太に目涙ながらのSOS連絡がいってしまったのである。

 ――数分後。

「おい、柚葉!  生きてるか!?」

 ノックもそこそこに、勝手知ったるいとこの特権で寛太が部屋に飛び込んできた。ベッドの上でクッションを抱き締めて丸くなっていた柚葉は、ガバッと跳ね起きる。

「ちょっと寛太君!  何勝手に入ってきてるの!」
「叔母さんが半泣きで電話してきたんだよ。『柚葉がハンバーグを残した、明日には地球が滅びるかもしれない』って!」
「大げさすぎるお母さんもお母さんだけどさぁ……っ」

 寛太はベッドの端にどさりと腰掛け、怪訝そうな目で柚葉の顔を覗き込んだ。

「で?  本当にどうしたんだよ。お前が飯残すなんて、明日は槍でも降るぞ。……あ、もしかしてまた秋月関連か?」
「なっ、なんでそこで先輩の名前が出るのさ!」
「昨日も『間接キスしたどうしよう破廉恥だ』って大パニックで電話してきたの誰だよ。で、今日は何があったんだ」

 呆れ顔の寛太にそう突っ込まれ、柚葉はクッションにぎゅっと顔をうずめた。
 今日、放課後の調理室であったこと。二人きりでオムライスを食べたこと。優しい博多弁で特別扱いしていいかって聞かれたこと。