恋も料理もじっくり弱火で




「いただきます!」

 スプーンを両手で包むように握り締め、柚葉は目の前に置かれたオムライスをじっと見つめた。
 きめ細かく、一切のムラなく焼き上げられたふわふわの卵。その美しい黄色いドレスを纏ったこんもりと丸い丘の頂上には、鮮やかな真っ赤なケチャップが美しく一筋ひかれている。
 立ち上る湯気と共に、お腹の虫を刺激する香ばしいバターの香りが鼻腔を擽った。

「すごい……綺麗……」
「あはは、部長のオムライスはうちの部の名物なんだよ」

 近くにいた部員達がクスクスと笑う。

「今日も試作品なんですか?」
「うん。今回はちょっとだけ隠し味を変えてみたんだ。柚葉ちゃん、今日も味見係をお願いできる?」

 そう言って優しく微笑む先輩に、柚葉はぶんぶんと勢いよく首を縦に振った。

「もちろんです! 喜んで!」

 スプーンをそっと入れると、繊細な半熟卵の膜がとろりと左右に開き、中から旨味をたっぷり吸って艶やかに輝くチキンライスが顔を覗かせた。
 すかさず一口、口へと運ぶ。

「わぁ……!」

 じゅわりと広がる卵のまろやかな甘みと、トマトソースの爽やかな酸味。さらにゴロッと贅沢に入った鶏肉の旨味が重なり合い、あまりの幸福感に柚葉の頬は限界まで緩んだ。

「……美味しいっ」

 もう一口。また一口。
 スプーンを持つ手が止められない。気付けば、皿の上のオムライスは見る見る内に消えていく。

「そんなに夢中で、美味しそうに食べてもらえると、作ったかいがあるな」

 目の前からのんびりとした声が聞こえ、柚葉はハッと顔を上げた。

「本当においしいです! 毎日でも食べたいくらい!」

 口の端に少しだけケチャップをつけたままきらきらと目を輝かせる柚葉を見て、先輩は少しだけ耳を赤くして照れたように笑った。

「ありがとう。……あ、そういえば」
「はい?」
「俺、まだちゃんと名前を名乗ってなかったよね」

 言われてみれば、と柚葉はぱちりと瞬きをした。

「三年」

 紺色のエプロンの胸元を軽くポンと叩きながら、先輩は穏やかに目を細める。

野中秋月(のなかあきづき)。秋の月って書いて、秋月」
「野中……秋月先輩」

 ゆっくりとその名前をなぞるように口にしてみると、不思議と温かい響きが胸の奥に残った。
 たったそれだけの一言。なのに、なんだか胸の奥が擽ったいように嬉しくなる。それはきっと、大好きな料理を作る人の仲間に、少しだけ入れてもらえたから――この時の柚葉は、本気でそう思っていた。

「それで」

 秋月は、いつの間にか綺麗に空っぽになった皿へと視線を落とし、それから楽しそうに柚葉を見つめた。

「体験入部、二回目だったけど……どうだった?」

 柚葉の答えは、最初から決まっていた。

「すっごく、すっごく楽しかったです!」
「それならよかった」
「それに……秋月先輩の作るご飯、私、世界で一番好きです!」
「え……」

 一瞬、秋月が驚いたように目を丸くする。けれどすぐに、降参したようにふっと優しく笑った。

「はは、そんな風に言われたら、毎日でも作りたくなっちゃうな。……じゃあさ」

 秋月は椅子から立ち上がり、空の皿を片付けながら振り返った。

「正式に、調理部に入部する気はある?」

 問いかけられた柚葉は、改めて家庭科室を見渡した。
 あちこちから楽しそうな笑い声が響く調理室。皆で試行錯誤して料理を作る高揚感。誰かに「おいしい」と伝えて、笑顔を交わす喜び。そして――秋月の、あの何処までも優しい味。

「はい!」

 柚葉は立ち上がり、満面の笑みで大きく頷いた。

「私、調理部に入ります!」

 その言葉を聞いた秋月は、心から愛おしそうに、安心したように微笑んだ。

「そっか。よろしくね、柚葉ちゃん」
「はい! よろしくお願いします!」

 今日から私は、正式な調理部員。
 そしてこの場所が、私の新しい、大好きな居場所になっていく――。