恋も料理もじっくり弱火で

 夕食とお風呂を済ませ、すっかりお気に入りのパジャマに着替えて自室へ戻った柚葉は、机の引き出しから一冊のリングノートを大切そうに取り出した。
 お気に入りのカラフルな表紙には、丸っこい字でマスコットのようなタイトルが書かれている。

『おいしかったものノート』

 高校の入学祝いに姉からもらった、とっておきのノートだ。
 柚葉はベッドの上に寝転がると、お気に入りのシャーペンをカチカチと鳴らし、今日の日付の隣に大きく書き込んだ。

『調理部 体験入部!』

・ハンバーグ
 ナイフを入れた瞬間の肉汁がすごい!  中がふわふわ!
 自分で刻んだ玉ねぎの甘みがちゃんと生きてた。

・コンソメスープ
 お野菜がゴロゴロ入ってて食べごたえあり。優しい味。

・ポテトサラダ
 お家のお母さんの味とはまた違う。黒こしょうのアクセントが天才。

 そこまで一気に書き進めて、ふとペン先が止まる。
 トントン、とシャーペンの頭で自分の頬を叩きながら、最後に差し出されたあの一皿を思い出す。
 ページを捲り、新しい行へ。

・先輩のふわとろオムレツ
 運ばれてきた瞬間にバターの香りがふわっとした。
 卵が信じられないくらいトロトロで、中のお肉がびっくりするほど柔らかかった。どうしたらあんな味になるんだろう。秘密を知りたい。

『絶対に、もう一回食べる!』

 最後にそう強い決意を書き添えて、柚葉はふふっと小さく笑った。

「あぁ、本当に美味しかったなぁ……」

 天井を見上げると、自然と頬が緩んでいく。
 今日は本当に、胸がいっぱいになるくらい幸せな一日だった。大好きな家族と食べた朝食から始まり、学校で友達と笑い合い、放課後は皆で賑やかに料理を作って、お腹いっぱい食べた。
 そして、最後に食べた、あの先輩の料理。
 不思議なことに、味を思い出すだけで、今度はお腹ではなく胸の奥がじんわりと満たされるような気がした。
 ぱたん、とノートを閉じる。
 その心地いい重みを胸に抱き締めながら、柚葉は窓の外の夜空を見つめた。

「……明日も、食べられるかな」

 ぽつりとした呟きだけで、明日の放課後が待ち遠しくて堪らなくなってしまう。
 恋なんて、今の柚葉はまだ少しも知らない。あの優しく微笑む先輩の瞳の意味だって、これっぽっちも分かっていない。
 ただ、あの黄金色のオムレツを、もう一度だけ食べたい。
 その純粋で、ちょっぴり食いしん坊な衝動だけが、柚葉の新しい明日を優しく、力強く引っ張っていた。