私は、不吉を呼ぶ姫と呼ばれている。
――だから、誰かに選ばれることなんて、最初から望んではいけないのだと思っていた。
――――――――――
アリスは息を整えながら、重厚な扉の前に立っていた。
正式な場に出るときは、いつもひどく緊張する。
失礼があってはいけない。
迷惑をかけてはいけない。
――それ以上に、顔をしかめられないように。
それだけを心の中で何度も繰り返していた。
視線を落とすと、茶色のドレスの裾が見える。
正式な場のために用意したドレスではあるが、色は華やかなものではなく落ち着いた茶色だった。
王女としては控えめすぎる色かもしれない。
それでもアリスにとっては、目立たない色の方が安心できる。
この国に来た理由を考えれば、なおさらだった。
やがて扉の向こうから声がかかる。
「アリス王女、お入りください」
ゆっくりと扉が開いた。
アリスは顔を上げた。
そして、思わず目を見開いた。
正面に立っていた三人の姿が、あまりにも整っていたからだ。
中央に立つ国王、その隣に寄り添う王妃。
そして、少し後ろには王弟が立っていた。
三人が並んで立つ姿は、まるで一枚の絵画のようだった。
金色の髪と蒼い瞳を持つ国王は柔らかな雰囲気の中に落ち着いた威厳を漂わせ、隣の王妃は銀色の髪と蒼い瞳に穏やかな光を帯びていて、優しげな雰囲気をまとっていた。
そしてその隣に立つ王弟は、金色の髪に翡翠の瞳を持ち、彫刻のように整った顔立ちにどこか張り詰めた空気をまとっていた。
三人のあまりの美しさに、アリスは一瞬だけ言葉を忘れてしまった。
――いけない。
すぐに我に返る。
アリスは姿勢を正し、深く膝を折った。
「ミルバーグ王国第二王女、アリス・ミルバーグでございます。この度はお招きいただき、心より感謝申し上げます」
顔を上げると、国王が穏やかな表情で頷いた。
「よく来てくれました、アリス様。トルシア王国国王、エドワード・トルシアです」
その隣で王妃も微笑む。
「トルシア王国王妃、ナタリア・トルシアです。長旅でお疲れでしょう」
その声には、警戒の色は感じられなかった。
アリスの胸の奥にあった緊張が、ほんの少しだけほどける。
ふと視線を動かすと、広い謁見室の奥に数人の重臣が控えているのが見えた。
彼らの視線が一斉にアリスへ向けられている。
冷静に観察するような目、わずかに物珍しげな目、そして――拍子抜けしたように揺れる目。
それでも露骨な嫌悪や忌避は感じられない。
黒い色だけが浮いて、顔立ちも佇まいも驚くほど地味で、拍子抜けするほど普通だと思われたのかもしれない。
予想以上に穏やかな反応に、アリスは内心ほっとした。
国王が王弟へ視線を向ける。
「こちらが、アリス様の婚約者となる私の弟です」
王弟が一歩前に出て、軽く頭を下げる。
「ウィル・トルシアです。お会いできて光栄です、アリス様」
低く落ち着いた声だった。
礼儀は完璧だが、表情はほとんど変わらない。
――そうよね。
アリスは心の中で小さくため息をついた。
この婚約が、政治のための形だけのものだということを、お互いによく分かっていた。
それでも、こんなにも美しい容姿の人が、自分の婚約者という立場を受け入れてくれている。
それだけで、心臓の鼓動が早くなる。
国王が穏やかな声で話す。
「アリス様には事前にお伝えしている通り、ミルバーグ国の塔と同じ形で住まいを整えました。環境が変わるとお辛いでしょうから、そちらでお過ごしください」
塔。
その言葉を聞いて、胸の奥にあった不安がほんの少し和らぐ。
「お気遣いありがとうございます」
アリスはもう一度深く礼をする。
王妃が穏やかな声で続けた。
「アリス様からのご希望は、ミルバーグ王国より伺っております。夕食はこちらで用意し、塔へお届けすること。食料や日用品の買い出しも、こちらで手配いたします。それ以外は、ご自身でなさりたいとのことでしたね」
アリスは頷いた。
「はい。侍女が一人おりますので、その者がいれば十分です」
王妃は一度アリスの顔を見つめる。
「本当にそれでよろしいのですか? 王女が侍女一人というのは、こちらとしては少々心配です」
アリスは小さく首を振った。
「ありがとうございます。ですが、塔での生活には慣れておりますので、どうかお気になさらないでください」
王妃は穏やかに頷いた。
「分かりました。アリス様がそうお望みなら、そのようにいたしましょう」
こうして形式的な顔合わせはほどなくして終わった。
王宮を出て、馬車が林の中を進む。
やがて木々の合間に石造りの建物が見えてきた。
円形の塔だった。
アリスは思わず目を細める。
石造りの外壁に、三階建ての形。
遠目にも見慣れた構造だとすぐに分かった。
――ミルバーグの塔と、ほとんど同じ。
小さく安堵のため息をつく。
王宮から離れた林の中で、人目の少ない場所。
それでも塔は整えられていて、粗末なものではなかった。
むしろ住みやすいように気を配られているのが分かる。
アリスは塔を見上げた。
――思っていたより、住みやすそう。
少なくとも、ここなら誰にも迷惑をかけずに過ごせそうだった。
そう思うと、胸の奥に残っていた緊張が、ほんの少しほどけた気がした。
ふと、あの翡翠の瞳がよぎる。
ここで過ごす限り、関わることもないはずだった。
少なくとも、この時はそう思っていた。



