箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい

 それは、強すぎて痛いわけでもなく、かといってすり抜けてしまうほど弱くもない、完璧な力加減。けれど、「絶対に離さない」という鉄の意思が込められたようなホールドだった。

「――走れ」

 アールは短くそう告げた。
 次の瞬間、新那の身体がぐいっと前方へと心地よく引っ張られる。

「わっ、わわっ!?」

 慌てて足を動かし、新那は再び走り出した。
 けれど、今度はさっきと違った。アールは新那のすぐ隣に並び立ち、彼女の限界の速度にミリ単位でスピードを完全に同期させていた。無理に強引に引っ張ることもなければ、置いて行くこともない。
 ただ、新那の歩調が乱れて転ばないように、しっかりと、その右手を握り締めてくれている。

(……え。ちょっと、待って……っ)

 新那の脳内で、けたたましい非常ベルが鳴り響いた。
 アールの手は、温かくない。当然だ。人間の体温なんて持っていない、冷徹な人工皮膚の感触。それなのに――。
 どうしてだろう。新那の胸の奥が、火をつけられたように熱く、ドクドクと不規則な音を立てて波打ち始めた。

(ダメダメダメ!  負けるな自分っ!  しっかりして私!)

 新那は走りながら、心の中で必死に自分の頭をペシペシと叩いた。

(相手はアンドロイド!  鉄と電子回路の塊!  少女漫画のシチュエーションじゃないんだから!  勘違いしちゃダメ!  吊り橋効果、これはただの雨による恐怖と、走ってる心拍数の上昇のせいで脳がバグを起こしてるだけ……!)

 必死に理性で言い聞かせるけれど、ぎゅっと握られた手の平の感触が強烈すぎて、言い訳が全く頭に入ってこない。
 感情なんてないはずの彼。この行動だって、きっと「護衛対象の脱落を防ぐ」という、プログラムされたマニュアルの一部に過ぎないはずだ。
 それでも、雨の中で自分が呼び止めた時、一ミクロンの躊躇もなくこちらへ引き返してくれたこと。
 何も言わずにその大きな手で、手を引いてくれたこと。
 その彼の冷たい手の温もりが、何故だか、どうしようもないくらいに嬉しかった。

「……ありがと」

 新那は乱れる呼吸を整えながら、雨の音に掻き消されてしまいそうなほど、小さく呟いた。
 けれど、超高性能な聴覚センサーを持つ彼には、その微かな羽羽のような声が、はっきりと届いていた。

「――任務だから」

 返ってきたのは、いつも通りの、何の情緒もない味気ない回答だった。
 そのあまりのブレなさに、新那の脳内のパニックは一気に静まり、代わりにプハッと小さく笑いが込み上げてきた。

「あはは……うん。そう言うと思った」

 雨はまだ、二人の頭上から容赦なく降り続いている。
 お気に入りの制服はびしょ濡れで、朝に頑張って整えた髪も今やぐしゃぐしゃだ。間違いなく高校生活にして最悪の帰り道のはずなのに。
 繋がれた右手の重みが、走る足取りを驚くほど軽くしてくれていて。
 新那の胸の奥は、雨上がりの空よりもずっと、晴れやかで楽しかった。