新那は困り果て、救いを求めるようにして、そっと真後ろの席を振り返った。
机の上に置いた鞄に手を置いて、窓の外を見るアールがいる。
彼は今日も相変わらず、周囲の雨の騒ぎなど我関せずといった無表情のままで、静かに窓の外を見ていた。
「ねぇ、アール」
「――何」
新那の呼びかけに対する彼の返音。
気づけば、最近少しだけ彼の話し方が変わっていた。昨日、住宅街の坂道で新那が教え込んだ「友達みたいなプロトコル」を、彼は忠実に、そして驚くほど自然に実行している。
新那はそれに気づいていたけれど、本人はそれがただの「出力データの変更」だと思っているのか、全くの無自覚らしい。
「……その、傘とか持ってたりしない?」
淡い期待を抱いて訊ねる新那に、アールは学生鞄のジッパーを閉めながら、即座に答えた。
「――持ってない」
新那は思わず、パちパチと目を瞬いた。
以前の彼なら、間違いなく「所持していません」とか「私の装備品に雨具は含まれていません」とか言いそうな場面なのに。
「……」
「……」
本人は至って普通の、涼しい真顔のままだ。やっぱり無意識で使っているらしい。
新那は絶望的なシチュエーションであるにも関わらず、彼のそのぎこちない「男の子っぽい喋り方」が少しだけおかしくて、吹き出しそうになってしまった。
「そっか。やっぱり持ってないよね」
「――今朝の時点における気象データでは、降水確率は十%だった。雨雲の急速な発達は予測の範囲外だ」
「あはは、お天気お姉さんも予測を外したんだね」
「――外れた。気象庁のサーバーの演算能力に疑問が残る」
心なしか、アールの無機質な声が、いつもよりほんの少しだけ「不満げ」に聞こえた。
もちろん、感情を持たないアンドロイドが天気予報に対して文句を言うはずがない。ただのプロトコルのバグか、新那の気のせいだろう。……多分。
「莉子ちゃんは大丈夫? 帰れる?」
「私は置き傘用の折り畳み持ってるから大丈夫! 新那ちゃん、神条君、ごめんね、私先帰るね!」
莉子が鞄から小さなピンク色の折り畳み傘を取り出し、パッと広げる準備をする。
「うん、莉子ちゃん気を付けてね。また明日」
「また明日! バイバイ!」
元気よく手を振りながら、莉子は弾むような足取りで教室を飛び出していった。
残されたのは、新那とアールの二人だけ。
窓の外では雨脚がさらに強まり、ザアザアという激しい音が教室の中まで響き始めていた。
「……で、どうする? アール」
新那は椅子の背もたれに寄りかかりながら訊ねる。
「――帰宅する」
「うん、それは分かってるの。どうやって帰るかって話」
「お嬢の肉体が雨水に濡れる時間を最小限に抑えるため、自宅までの最短ルートを最高速度で移動する」
「つまり……雨の中を全力疾走しろってこと?」
「その可能性が、現段階で極めて高い」
新那はもう一度、窓の外の景色を見た。
灰色に煙る校庭には、無数の激しい雨粒が叩きつけられている。今この中に飛び出せば、最初の三歩で確実にびしょ濡れだ。
「はぁ……最悪」
深く、重い溜息を吐く。
ずぶ濡れになって風邪を引き、明日から欠席するなんて、そんな格好悪い展開は絶対に嫌だ。だが、この学校に傘を持たない自分達を救ってくれる都合のいい選択肢など、フォコにも転がっていない。
「……よし、行くかぁ。覚悟を決めよう」
新那は重い腰を上げ、学生鞄をしっかりと肩へと掛けた。アールもそれに合わせるように、スッと無駄なく立ち上がる。
二人は、静かになりかけた教室を後にした。
昇降口へと続く長い廊下。
窓ガラスを激しく叩く、規則的な雨の音。
まだ校舎内に残っている部活へ向かう生徒たちの、遠い喧騒。
そんな雨の日の独特な空気の中を並んで歩きながら、新那は何となく外の様子をずっと気にしていた。隣を歩くアールの横顔を、盗み見るように視線に捉えながら。
机の上に置いた鞄に手を置いて、窓の外を見るアールがいる。
彼は今日も相変わらず、周囲の雨の騒ぎなど我関せずといった無表情のままで、静かに窓の外を見ていた。
「ねぇ、アール」
「――何」
新那の呼びかけに対する彼の返音。
気づけば、最近少しだけ彼の話し方が変わっていた。昨日、住宅街の坂道で新那が教え込んだ「友達みたいなプロトコル」を、彼は忠実に、そして驚くほど自然に実行している。
新那はそれに気づいていたけれど、本人はそれがただの「出力データの変更」だと思っているのか、全くの無自覚らしい。
「……その、傘とか持ってたりしない?」
淡い期待を抱いて訊ねる新那に、アールは学生鞄のジッパーを閉めながら、即座に答えた。
「――持ってない」
新那は思わず、パちパチと目を瞬いた。
以前の彼なら、間違いなく「所持していません」とか「私の装備品に雨具は含まれていません」とか言いそうな場面なのに。
「……」
「……」
本人は至って普通の、涼しい真顔のままだ。やっぱり無意識で使っているらしい。
新那は絶望的なシチュエーションであるにも関わらず、彼のそのぎこちない「男の子っぽい喋り方」が少しだけおかしくて、吹き出しそうになってしまった。
「そっか。やっぱり持ってないよね」
「――今朝の時点における気象データでは、降水確率は十%だった。雨雲の急速な発達は予測の範囲外だ」
「あはは、お天気お姉さんも予測を外したんだね」
「――外れた。気象庁のサーバーの演算能力に疑問が残る」
心なしか、アールの無機質な声が、いつもよりほんの少しだけ「不満げ」に聞こえた。
もちろん、感情を持たないアンドロイドが天気予報に対して文句を言うはずがない。ただのプロトコルのバグか、新那の気のせいだろう。……多分。
「莉子ちゃんは大丈夫? 帰れる?」
「私は置き傘用の折り畳み持ってるから大丈夫! 新那ちゃん、神条君、ごめんね、私先帰るね!」
莉子が鞄から小さなピンク色の折り畳み傘を取り出し、パッと広げる準備をする。
「うん、莉子ちゃん気を付けてね。また明日」
「また明日! バイバイ!」
元気よく手を振りながら、莉子は弾むような足取りで教室を飛び出していった。
残されたのは、新那とアールの二人だけ。
窓の外では雨脚がさらに強まり、ザアザアという激しい音が教室の中まで響き始めていた。
「……で、どうする? アール」
新那は椅子の背もたれに寄りかかりながら訊ねる。
「――帰宅する」
「うん、それは分かってるの。どうやって帰るかって話」
「お嬢の肉体が雨水に濡れる時間を最小限に抑えるため、自宅までの最短ルートを最高速度で移動する」
「つまり……雨の中を全力疾走しろってこと?」
「その可能性が、現段階で極めて高い」
新那はもう一度、窓の外の景色を見た。
灰色に煙る校庭には、無数の激しい雨粒が叩きつけられている。今この中に飛び出せば、最初の三歩で確実にびしょ濡れだ。
「はぁ……最悪」
深く、重い溜息を吐く。
ずぶ濡れになって風邪を引き、明日から欠席するなんて、そんな格好悪い展開は絶対に嫌だ。だが、この学校に傘を持たない自分達を救ってくれる都合のいい選択肢など、フォコにも転がっていない。
「……よし、行くかぁ。覚悟を決めよう」
新那は重い腰を上げ、学生鞄をしっかりと肩へと掛けた。アールもそれに合わせるように、スッと無駄なく立ち上がる。
二人は、静かになりかけた教室を後にした。
昇降口へと続く長い廊下。
窓ガラスを激しく叩く、規則的な雨の音。
まだ校舎内に残っている部活へ向かう生徒たちの、遠い喧騒。
そんな雨の日の独特な空気の中を並んで歩きながら、新那は何となく外の様子をずっと気にしていた。隣を歩くアールの横顔を、盗み見るように視線に捉えながら。



