箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい

 再び、教室に心地よい静けさが戻ってくる。
 開け放たれた窓の外では、柔らかな春風が校庭の木々をざわざわと揺らしていた。
 先生の持つチョークが黒板を小気味よく走る音。
 誰かがページを捲る、摩擦の音。
 シャープペンの芯が紙を削る、微かな音。
 何処にでもある、ありふれた高校の授業風景。
 けれど、新那はその空気の全てが、堪らなく愛おしくて、好きだった。
 隣に、一緒にふざけ合える友達がいて。
 同じ空間で同じ問題を解くクラスメイトがいて。
 先生の言葉に耳を傾ける。
 ずっとずっと、白い邸宅の窓から眺めては憧れていた「普通の学生生活」が、今、確かに自分の手の届く目の前にある。
 新那は胸の奥をじんわりとした幸福感で満たしながら、再び自分のノートへと視線を落とした。
 そう、日常の奇跡に浸っていた、まさにその瞬間だった。

「――おい、犬丸」

 教卓の前から、先生の容赦のない指名が教室の空気を引き裂いた。

「はいっっっ!?!?!?」

 完全に意識が半分お布団の中に入っていた莉子が、バネ仕掛けの人形のように勢いよく立ち上がった。ガタタン、と椅子が派手な音を立てる。
 一瞬にして、教室中の三十数人分の視線が、一斉に彼女へと集中した。

「ちょうどそこ、解き終わって暇そうに話していたな。じゃあ、黒板の第三問の答えを言ってみろ」
「えっ」

 莉子は、完全にフリーズした。
 黒板の複雑な数式と、自分の白紙に近いノートを交互に見つめ、数秒。
 教室中が、彼女の回答をじっと待つための完全な沈黙に包まれる。
 莉子は、ゴクリと唾を飲み込むと、これ以上ないほど胸を張り、満面の笑みで言い放った。

「――すみません、先生!  一ミリも分かりません!」

 あまりにも堂々とした、清々しすぎる敗北宣言。
 次の瞬間、教室内はドッと大きな笑い声に包まれた。先生も「これだから初日の奴らは……」と呆れたように笑っている。
 新那は机に突っ伏しながら、クスクスと肩を揺らした。
 後ろを見てみれば、アールだけが「なぜ解けないのか」を本気で理解できないという顔で、ただ静かに彼女を見つめている。
 やっぱりこの高校生活は、前途多難で、最高に賑やかで――そして、どうしようもないくらいに楽しい。