箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい

 入学式の日の朝、初めて出会った頃の彼は、機械的な敬語と定型句しか話さなかった。
 雨の日に傘を差し出してくれたこと。風邪を引いた時に看病してくれたこと。体育祭で一緒に走ったこと。夏祭りの夜に火花を見つめたこと。そして、文化祭の劇を一緒に作ろうと約束したこと。
 二人で過ごした、何気なくて、眩しすぎる毎日のメモリが、走馬灯のように新那の胸を駆け巡る。
 この人は、もう機械などではない。
 心なんて持っていないはずのアンドロイドなのに。
 彼は誰より優しさを知っている。寂しさを知っている。ほんの少しの嫉妬を知っている。笑うことの温かさを知っている。
 そして――誰かを心の底から愛することを知ってしまった。
 だから彼はもう、ただのロボットではない。神条零という、世界にたった一人の、愛おしい男の子なのだ。
 その時だった。

「もう、やめなさい」

 けたたましい警報を切り裂くような、凛とした女性の声が研究室中に響き渡った。
 全員の動きが、ピタリと止まる。
 開け放たれた入り口の扉に立っていたのは、一人の女性だった。その助成は、先ほどこの部屋の扉を開けたあの研究員と同じ背格好をしている。
 女性は床に散らばる硝子の破片を踏み越え、真っ直ぐに孝允を見つめた。

「あなた」

 新那は赤く濡れた目を大きく見開いた。

「……マ、マ……っ」

 母は静かに、二人の元へと歩み寄る。
 床に飛び散った強化ガラスの破片。零の手首に絡みつく重々しい拘束具。そして、ボロボロになりながらも前を見据える、傷だらけの愛おしい娘の姿。
 その全てを悲痛な目で見渡し、最後にゆっくりと夫の方へ向き直った。

「もう……十分でしょう、あなた」

 赤い光が回り続ける研究室は、まるで水を打ったように静まり返る。
 母だけが、何年もの空白を突き破るような強い覚悟を秘めて、真っ直ぐに夫の目を見据えていた。
 静まり返った研究室に、母の穏やかな声だけが染み渡るように響く。
 その一言には奇妙なほどの重みがあり、あれほど統制の取れていた警備員達は誰一人として次の動作に移れなかった。誰もがその場で凍りついたように立ち尽くしている。
 神条グループの頂点に君臨する絶対的な権力者、孝允もまた、何も言わずにただ静かに妻を見つめ返していた。
 新那は驚きに目を瞬かせる。

(……パパが、何も言わずに黙ってる?)

 あの合理性の塊のような父親が、感情論を最も嫌うはずの男が、反論すらしない。