「……どうしても、嫌なの」
新那は腕の中の台本を、破れんばかりにぎゅっと抱き締めた。
「ここまで、皆で、あのメンバーで作ってきた劇なんだよ?」
夕陽が差し込む放課後の教室で。何度も何度も、飽きるほどセリフを交わした。
相楽が白熱して怒鳴り散らして、橋本がそれを苦笑しながら宥めて、周りの子達が茶化して。皆で馬鹿みたいに笑い合いながら、一つずつ形にしてきた。
その中心には、いつだって、あの無愛想で、でも誰より一生懸命だった零がいたのだ。
「私……」
新那は目を伏せ、胸の奥底に溜まっていた熱い本音を吐き出した。
「零と一緒に、あの舞台に立ちたい。王子役は、零じゃなきゃ絶対に嫌!」
あまりの気迫に、橋本はそっと目を伏せる。
相楽だけが、逃げることなく真っ直ぐに新那の瞳を見つめ返している。
「……クソ、俺だってそうだよ」
相楽は自嘲気味に苦笑し、頭をガシガシと掻きむしった。
「正直、あいつ以上にあの王子役が似合う奴なんて、この学校中探したっていない」
あの絵に描いたような端正な立ち姿。
空気を震わせる静かな声。
周囲を圧倒する存在感。
最初はあれほど機械的でぎこちなかった演技が、日々の練習で、人間らしい感情を宿して克服されつつあったのを、誰より間近で見ていたのは演出家である相楽自身だ。
「でもな」
相楽は声を落とし、諭すように続ける。
「現実を見なきゃいけないんだ。文化祭の期日は待ってくれない。俺はこれでも、このクラスの劇の監督だから。あいつ一人のために、残された全員の努力をギャンブルに賭けるわけにはいかないんだよ。皆を守る責任がある」
その言葉の重みは、新那の胸に重く伸し掛かった。相楽は決して零を見捨てようとしているわけではない。クラス全員の血と汗を守るために、心を鬼にして冷酷な決断を下そうとしている。
だからこそ、新那は逃げなかった。さらに一歩、相楽の方へと強く踏み出す。
「だったら――」
真っ直ぐに、相楽の目を射抜く。
「私が、連れてくる」
「……え?」
「零を。あいつを、私がここに連れてくる」
視聴覚室の中が、水を打ったように静まり返る。
「絶対に見つける。何処に隠されてるか、私には心当たりがあるから」
新那の瞳には、迷いも、恐怖も、一切の揺らぎもなかった。
「そして文化祭の幕が上がるまでに、必ずここへ連れて帰ってくる」
「お前……」
「だから――」
新那は台本をさらに強く胸に押し当て、頭を下げた。
「お願い、相楽君。あと少しだけ、私に時間を頂戴。あと少しだけ、待って」
相楽は何も言えなかった。
橋本も新那の圧倒的な覚悟に圧倒され、言葉を失っていた。
息が詰まるような静寂の中、新那は顔を上げ、もう一度はっきりと、自分自身に言い聞かせるように告げた。
「私は、零を迎えに行く」
それは、父親の所有物である便利な護衛ロボットを回収しに行くという、冷たい義務感などでは決してなかった。
自分の隣で笑い、不器用に困り、時には拗ねて、冗談を言って、少しずつ、少しずつ自分と一緒に人間らしくなっていった――。
世界でたった一人の、大切な男の子を取り戻すための、命がけの決意だった。



