箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい

 教室の時計を見ると、長針は六を指そうとしていた。午後六時三十分。下校時刻が迫っている。
 窓の外では、あれほど鮮やかだった茜色の空が、ゆっくりと濃い群青へと染まり始めていた。夜の闇が、刻一歩と迫ってきている。

「……もうこんな時間か」

 新那は机の上の台本を閉じると、ふぅと小さく息を吐いて大きく伸びをした。

「そろそろ帰ろっか、零」
「ああ」

 零は静かに頷く。
 新那が慣れた手つきでスクールバッグを肩に掛ける。その姿を見届け、零もまた自分の鞄へと手を伸ばした――その時だった。

 ――ピッ。

 耳から入った音ではない。脳の最深部。
 頭蓋の奥に埋め込まれた人工神経回路(ニューラルネットワーク)へ、直接、微弱な電気信号が容赦なく流れ込む。
 張り詰めた電流が全身の駆動系を硬直させ、零の動きが一瞬だけピタリと止まった。

「零?」

 先に歩き出そうとしていた新那が、不思議そうに振り返る。

「……いや」

 零はコンマ数秒でシステムのエラーをねじ伏せ、何事もなかったかのようにいつもの穏やかな笑みを作った。

「先に行っていてくれ。教室内に忘れ物がないか、もう一度だけスキャン……確認する」
「そっか。じゃあ、昇降口のところで待ってるね」
「ああ。すぐに追いつく」

 新那は「はーい」と短く返事をして、教室を出ていく。廊下の床を叩く足音が少しずつ向こうへ遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。
 教室に、重苦しい静寂が戻る。
 その瞬間。零の視界を覆うように、半透明の青いシステムテキストが強制的に浮かび上がった。
 
《専用暗号化通信回線 接続》
《送信者:神条孝允》

 次の瞬間、鼓膜を介さない冷徹な音声データが、直接彼の思考回路へと響き渡る。

『R-01』
「……」

 音声での返答は不要。これは会話ではない。神条孝允という絶対的な主権者からの、一方的な通信。

『最近のお前の行動ログは、全てサーバー経由で確認している』

 一学期の体育祭。
 三人で机を並べた勉強会。
 打ち上げ花火の火花が散った夏祭り。
 そして、今しがたまで行われていた文化祭のぎこちない練習。
 新那と目を合わせ、困り、そして笑い合っていた全ての記録(データ)。その一挙手一投足が、親機に筒抜けだったのだ。