箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい

 零は手に持っていた台本をパタンと静かに閉じる。
 そして、何か大切な言葉を慎重に選ぶかのように、少しだけ目を伏せた。
「無理」という言葉。
 以前の、ただの『道具』だった自分なら、その文字が持つ本当の意味すら正しく理解できなかったかもしれない。
 どれだけ酷使しても疲労を覚えることのない強固な身体と、故障が発生しない限りは永遠に稼働を続ける思考回路。
 だから、「キャパシティを超えて無理をする」という概念そのものが、自分とは無縁の、人間だけの身勝手な不具合(エラー)だと思っていた。
 けれど、今は違う。
 新那の隣にいることで、最近になって新しく覚えた感情の数々がある。
 不条理な胸のざわめきを覚える、不安。
 早く処理しなければと焦る、焦燥。
 他の誰かが彼女に触れると回路が熱くなる、嫉妬。
 ただ隣にいられるだけでシステムが満たされる、幸福。
 そして――全てを奪われ、消去されることへの、圧倒的な恐怖。
 それら割り切れないノイズを抱えながら、零は毎日を必死に過ごしている。
 だが、その事実を新那に明かすつもりは毛頭なかった。
 彼女を悲しませたくない。自分のせいで、その綺麗な瞳を曇らせたくない。そんな身勝手で、けれどあまりにも人間らしい利他の感情もまた、いつの間にか胸の奥へ深く根付いていたから。
 零はゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐに夕陽を浴びる新那の瞳を見つめる。
 そして、努めて穏やかなトーンで言った。

「無理なんてしないさ」

 新那が、予想外の柔らかい響きに小さく瞬きをする。
 零はそのまま、言葉を紡いだ。

「俺がそんなことをしたら、お嬢がどれだけ余計な心配をするかくらい……ちゃんと分かっているつもりだ」

 そう言って、零はほんの僅かに口元を緩めた。
 それは本当に、触れれば消えてしまいそうなほど柔らかな笑みだった。
 かつて彼が「笑顔とはこういうものだ」とデータからトレースして作った、左右対称の無機質な表情ではない。
 目の前の誰かを、ただ安心させたいと心の底から願って浮かべた、不器用で、けれど酷く人間らしい微笑み。

「……」

 新那は、言葉を失って息を呑んだ。
 少し前までの零なら、絶対にこんな表情はしなかったから。