箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい

 一学期の頃、あれほど「近寄りがたい完璧超人」と思われていた零が、今ではこうしてクラスの連中に囲まれ、全力で突っ込まれている。その変化が、彼女にはなんだか無性に嬉しかった。

「ちょっと相楽君、ストップ」

 その時、凛とした、けれど柔らかな声が響いた。
 教卓の近くで小道具のリストを整理していた女子生徒が、苦笑しながら割って入る。

「そんなに最初からガミガミ責めたら、神条君が可哀想でしょ」
「橋本、お前は甘い!」

 相楽がバッと振り返る。

「演劇っていうのはなぁ、一度妥協したらそこで全てが崩壊するんだ!」
「それは分かるけど、神条君、不慣れなりにちゃんと頑張ってセリフ覚えてきてくれてるよ?」
「……それは、まあ、認める。完璧に頭に入ってるのは凄いと思う」
「じゃあ、まずは褒めてあげなきゃ」
「嫌だね!  監督として、褒められるレベルに達するまでは絶対に妥協しない!」
「相変わらず厳しいなぁ、相楽監督は」

 橋本伊織(はしもといおり)はくすりと上品に笑った。肩まで綺麗に切り揃えられた黒髪を揺らしながら、彼女は零へと視線を向ける。

「ごめんね、神条君。相楽君、演劇のことになると周りが見えなくなって暴走しちゃうから」
「暴走なんてしてない!」
「してるよ」

 伊織の即答だった。
 相楽だけが「解せぬ」という顔で納得いかなそうに爪を噛んでいる。

「よし、気を取り直してもう一回いくぞ!」

 相楽がパッと台本を持ち直す。

「次は、王子と姫が運命の再会を果たすシーンだ!」

 その一言に、新那の肩がぴくりと跳ねた。胸の奥で、嫌な予感……というより、心臓に悪い予感しかしない。

「神条!」
「うん」
「神条!」
「――ちょっと、なんで私まで苗字で呼ぶの!」

 新那がすかさず抗議する。相楽は面倒臭さそうに頭を掻いた。

「しょうがないだろ、どっちも神条なんだから!  ややこしいんだよ!」
「それは、ごめん」
「……素直に謝られると調子が狂うな……ま、まあいい! ダブル神条、前に出ろ!」

 オレンジ色の夕陽がこれでもかと斜めに差し込む、教室の中央。机を下げて広く作られたスペースの真ん中で、二人は向かい合う形になった。
 新那は胸元に台本をぎゅっと抱えながら、気まずさと恥ずかしさで居心地悪そうに身を縮めている。対する零は、相変わらずポーカーフェイスの真顔だった。

「よし」

 相楽が満足そうに腕を組む。

「ボロボロになりながら魔王の部屋の扉をぶち破った王子が、囚われていた姫を救い出した直後のシーンだ。緊迫感の後の、カタルシスな」

 そして、相楽はニヤリと悪戯っぽく笑った。

「ここで王子は、床に座り込む姫に向かって、優しく手を差し出す。……ほら、やれ」

 新那の思考が完全に固まった。

「え……?  手、手を?」
「やれ」
「え、でも、まだそこは動きの確認だけで――」
「やれ」
「ええっ!?」
「やれ。演出家の指示は絶対だ」

 問答無用だった。
 零は手元の台本に一度視線を落とし、ト書きを確認する。それから、迷いのない足取りで一歩、新那の方へと足を踏み出した。