箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい

 人間心理学のどのページを捲っても説明のつかない、熱くて、苦しいほどの感覚。
 それでも――決して嫌ではなかった。むしろ、回路の隅々までが歓喜で震えるほど、嬉しかった。

「人間らしい、か」

 零が自らの声の響きを確かめるように呟いた。
 そして、すっと長い首を巡らせ、始まりを待つ群青色の空を見上げる。

「実は最近……人間心理学の本を読んでいる」
「えっ、心理学?」

 新那は驚いて目を丸くした。それは初耳だった。

「うん、なんでまた急に?」
「分からなかったからだ」

 零は静かに、けれど何処か遠くを見つめるような瞳で答える。

「……人間という存在が」

 お祭りの遠い喧騒が、二人の間を通り抜けていく。

「人間は、極めて非合理的だ」
「うん」
「目先の効率よりも、不確かなものを優先する。時には自己の不利益になると分かっていて、感情だけで行動する。システムとして見れば、あまりにもバグが多すぎる。だから、以前の俺には全く理解できなかった」

 新那は言葉を挟まず、黙って彼の横顔を見つめた。
 提灯の淡い光に照らされた彼の横顔は、彫刻のように美しいけれど、何処か寂しげに見えた。

「だが」

 零は言葉を紡ぐ。その横顔が、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、優しく綻んだ。

「最近になって、ようやく分かってきた気がするんだ」
「何が……?」
「非合理的だからこそ、人間は美しいのだと」
「――っ」

 新那の心臓が、ドキン、と大きく跳ねた。
 しかし、零はその高鳴りに気づくことなく、淡々と、けれど確かな温もりを宿した声で言葉を続ける。

「理屈に合わなくても、友人を大切にする理由も」
「……」
「誰かのために、自分を顧みずに動いてしまう理由も」
「……」
「そして――誰かを、愛おしいと思う理由も。以前の俺よりは、ずっと理解できるようになった」

 新那は、もう何も言葉を返せなかった。
 川面を渡る夜風は少しだけ冷たいはずなのに、何故か自分の両頬だけが、火照ったように熱い。
 トクショウ、トクショウと、耳の奥で自分の心拍数がうるさいほどに響いている。
 そして、零はゆっくりと視線を下げ、新那を真っ直ぐに見つめた。

「だから」

 一拍。世界の全ての音が消えたような錯覚が起きる。

「俺は、自分のことを、人間だと思うことにした」

 新那は、息を呑んで目を見開いた。

「え……?」
「俺はアンドロイドだ」

 零は自嘲することもなく、ただ事実として告げる。

「その構造は変わらない。傷ついても血は流れないし、夜に眠って夢を見る必要もない。細胞が成長することも、俺にはない」
「うん……」
「だが」

 そこで零は、一歩、新那の方へと摺り寄った。