それらのデータが、コアの最奥に強固にロックされ、消去を拒んでいる。消したくない。
この記憶を失うくらいなら、システムが焼き切れた方がいい。そう考えている自分が、確かにそこに存在していた。
「……」
孝允は、その致命的な沈黙を見逃さなかった。
最高傑作であるはずの機械が見せた、人間と全く同じ「迷い」のノイズ。
男は、ふう、と深く、そして心底落胆したように息を吐き出した。
「やはり、か」
それは、実の娘を心配する父親としての嘆きではなかった。自らが作り上げた道具が不良品へと成り下がったことを看取った、冷徹な「開発者」としての溜め息だった。
「これ以上、そのバグが任務遂行に支障をきたすと判断した場合――」
零はゆっくりと視覚センサーを開き、顔を上げた。
「君を、解体する」
地下室の空気が、完全に凍結した。
「あるいは、根本的な改造を施す」
孝允の声には、一ミリの躊躇も、揺らぎもなかった。
「全ての記憶領域の初期化。人格生成ルーチンの再構築。感情模倣プログラムの完全な凍結、および自律行動権の制限。……方法はいくらでもある」
零は動かない。いや、動けなかった。
エラー警告が視界を赤く染めていく。
「私は、新那を守りたい」
孝允は、冷え切った瞳で零を見つめる。
「彼女は私にとって、何よりも、世界中の何よりも大切な存在だからだ。そのためなら、私はどんな手段も厭わない。君という道具を廃棄することなど、造作もないことだ」
それは、紛れもない本音。神条孝允という男の、歪んだ、けれど絶対的な愛情の証明。
最後に、彼は哀れむような視線を零へと向けた。
「君も、理解しているだろう? 君が初期化されようと、別の個体になろうと、新那を守るという目的は変わらない。彼女の人生に、何の影響もないということを」
理解している。
理解、してしまう。
自分が壊され、記憶を失い、ただの冷たい「機械の盾」に戻ったとしても、新那は生きていける。何の問題もなく、彼女の日常は続いていく。
だが――その瞬間、零の内部プログラムの記述すら存在しない未知の領域で、今まで決して存在しなかった「漆黒の感情」が、激しく静かに疼き狂い咲いた。
――嫌だ。
初めてだった。創造主の命令に、心底から従いたくないと拒絶したのは。
初めてだった。自分という存在が、この記憶が、すべて消えて無くなるのが「恐ろしい」と思ったのは。
そして、何よりも、新那の隣にいたい。他の誰でもない、この零のままで、彼女の傍にいたいと、強く、強く願ってしまったのは。
「……了解、しました。以後、自己診断を徹底します」
零は、いつも通りの、無機質な合成音でそう答えた。
薄暗い部屋の中、誠一郎は気づかない。
自ら作り上げた最高傑作の人工知能が、恐怖と、拒絶と、エゴという名の『心』を手に入れ――とうとう、取り返しのつかない絶対の禁忌まで辿り着いてしまったことに。
この記憶を失うくらいなら、システムが焼き切れた方がいい。そう考えている自分が、確かにそこに存在していた。
「……」
孝允は、その致命的な沈黙を見逃さなかった。
最高傑作であるはずの機械が見せた、人間と全く同じ「迷い」のノイズ。
男は、ふう、と深く、そして心底落胆したように息を吐き出した。
「やはり、か」
それは、実の娘を心配する父親としての嘆きではなかった。自らが作り上げた道具が不良品へと成り下がったことを看取った、冷徹な「開発者」としての溜め息だった。
「これ以上、そのバグが任務遂行に支障をきたすと判断した場合――」
零はゆっくりと視覚センサーを開き、顔を上げた。
「君を、解体する」
地下室の空気が、完全に凍結した。
「あるいは、根本的な改造を施す」
孝允の声には、一ミリの躊躇も、揺らぎもなかった。
「全ての記憶領域の初期化。人格生成ルーチンの再構築。感情模倣プログラムの完全な凍結、および自律行動権の制限。……方法はいくらでもある」
零は動かない。いや、動けなかった。
エラー警告が視界を赤く染めていく。
「私は、新那を守りたい」
孝允は、冷え切った瞳で零を見つめる。
「彼女は私にとって、何よりも、世界中の何よりも大切な存在だからだ。そのためなら、私はどんな手段も厭わない。君という道具を廃棄することなど、造作もないことだ」
それは、紛れもない本音。神条孝允という男の、歪んだ、けれど絶対的な愛情の証明。
最後に、彼は哀れむような視線を零へと向けた。
「君も、理解しているだろう? 君が初期化されようと、別の個体になろうと、新那を守るという目的は変わらない。彼女の人生に、何の影響もないということを」
理解している。
理解、してしまう。
自分が壊され、記憶を失い、ただの冷たい「機械の盾」に戻ったとしても、新那は生きていける。何の問題もなく、彼女の日常は続いていく。
だが――その瞬間、零の内部プログラムの記述すら存在しない未知の領域で、今まで決して存在しなかった「漆黒の感情」が、激しく静かに疼き狂い咲いた。
――嫌だ。
初めてだった。創造主の命令に、心底から従いたくないと拒絶したのは。
初めてだった。自分という存在が、この記憶が、すべて消えて無くなるのが「恐ろしい」と思ったのは。
そして、何よりも、新那の隣にいたい。他の誰でもない、この零のままで、彼女の傍にいたいと、強く、強く願ってしまったのは。
「……了解、しました。以後、自己診断を徹底します」
零は、いつも通りの、無機質な合成音でそう答えた。
薄暗い部屋の中、誠一郎は気づかない。
自ら作り上げた最高傑作の人工知能が、恐怖と、拒絶と、エゴという名の『心』を手に入れ――とうとう、取り返しのつかない絶対の禁忌まで辿り着いてしまったことに。



