気付けば時計の針は昼を大きく回り、初夏の強い陽射しが、部屋の床に大きな四角い光の模様を描いていた。
勉強会はまだ続いていた。けれど、最初に新那が抱いていたあの張り詰めたような緊張感や、秘密がバレるかもしれないという恐怖は、何処かへ綺麗に消え去っていた。
そこにあるのは、絶え間ない笑い声だ。
難解な問題に頭を悩ませて、突拍子もない解答に皆で大笑いして、少しだけ分かって、また笑う。
そんな、何処にでもある、けれど新那にとっては奇跡のような時間が、確かにこの部屋の中に流れていた。
新那はふと、ペンを置いて二人を見た。
莉子は相変わらず「もう一歩も動けない」と騒がしくお菓子を齧っている。零はそんな莉子に「効率が悪い」と小言を言いながらも、次の歴史のページに分かりやすい付箋を貼ってあげていた。不器用だけれど、驚くほど丁寧に。
「ねぇ、零」
「何だ、お嬢」
新那はノートに頬を乗せるようにして、悪戯っぽく微笑んだ。
「やっぱり先生には全然向いてないね」
「……知っている」
「あ、自覚はあったんだ」
「人間に何かを教える、効率的なアルゴリズムを構築するのは……想像以上に、難しい」
零は少しだけ視線を落とし、珍しく素直に、何処か悔しそうにそう呟いた。
その言葉に、新那は小さく目を見開いた。
以前のアールなら、絶対にこんなことは言わなかったはずだ。「理解できない人間のスペックが低い」「当機の指導プロトコルにエラーはない」と、冷酷に結論づけて、それでおしまいだったはず。
でも、今の彼は違う。
目の前にいる莉子が、何を分からないのか。どうして伝わらないのか。どうすればその「心」に自分の言葉が届くのかを、一生懸命に考えて、悩んでいる。
プログラムの枠を超えて、本気で「人間」と向き合おうとしているのだ。
「でもね」
新那は顔を上げ、彼の綺麗な瞳を真っ直ぐに見つめて、優しく笑った。
「私は、結構いい先生だと思うよ。莉子ちゃんのために、そんなに一生懸命になってくれるんだから」
零がハッとしたようにこちらを見た。前髪の隙間で、その瞳が夕暮れ前の光を受けて優しく煌めく。
「……そうか」
「うん」
「なら……少しだけ、安心した」
そう言って、零は本当に微かに、誰にも気づかれないほど小さく、けれど新那にだけははっきりと分かる穏やかな笑みを浮かべた。
その瞬間、新那の胸の奥が、トクン、と小さく、熱く跳ねた。
夏の陽射しが優しく差し込む部屋。
お菓子の匂いと、友達の賑やかな笑い声。
そして、自分のすぐ隣で、少しずつ「心」を育んでいく大好きなアンドロイド。
かつて孤独の檻にいた新那にとって、この何気ない休日のワンシーンこそが、何よりも特別で、何よりも失いたくない、かけがえのない「私の日常」そのものだった。
勉強会はまだ続いていた。けれど、最初に新那が抱いていたあの張り詰めたような緊張感や、秘密がバレるかもしれないという恐怖は、何処かへ綺麗に消え去っていた。
そこにあるのは、絶え間ない笑い声だ。
難解な問題に頭を悩ませて、突拍子もない解答に皆で大笑いして、少しだけ分かって、また笑う。
そんな、何処にでもある、けれど新那にとっては奇跡のような時間が、確かにこの部屋の中に流れていた。
新那はふと、ペンを置いて二人を見た。
莉子は相変わらず「もう一歩も動けない」と騒がしくお菓子を齧っている。零はそんな莉子に「効率が悪い」と小言を言いながらも、次の歴史のページに分かりやすい付箋を貼ってあげていた。不器用だけれど、驚くほど丁寧に。
「ねぇ、零」
「何だ、お嬢」
新那はノートに頬を乗せるようにして、悪戯っぽく微笑んだ。
「やっぱり先生には全然向いてないね」
「……知っている」
「あ、自覚はあったんだ」
「人間に何かを教える、効率的なアルゴリズムを構築するのは……想像以上に、難しい」
零は少しだけ視線を落とし、珍しく素直に、何処か悔しそうにそう呟いた。
その言葉に、新那は小さく目を見開いた。
以前のアールなら、絶対にこんなことは言わなかったはずだ。「理解できない人間のスペックが低い」「当機の指導プロトコルにエラーはない」と、冷酷に結論づけて、それでおしまいだったはず。
でも、今の彼は違う。
目の前にいる莉子が、何を分からないのか。どうして伝わらないのか。どうすればその「心」に自分の言葉が届くのかを、一生懸命に考えて、悩んでいる。
プログラムの枠を超えて、本気で「人間」と向き合おうとしているのだ。
「でもね」
新那は顔を上げ、彼の綺麗な瞳を真っ直ぐに見つめて、優しく笑った。
「私は、結構いい先生だと思うよ。莉子ちゃんのために、そんなに一生懸命になってくれるんだから」
零がハッとしたようにこちらを見た。前髪の隙間で、その瞳が夕暮れ前の光を受けて優しく煌めく。
「……そうか」
「うん」
「なら……少しだけ、安心した」
そう言って、零は本当に微かに、誰にも気づかれないほど小さく、けれど新那にだけははっきりと分かる穏やかな笑みを浮かべた。
その瞬間、新那の胸の奥が、トクン、と小さく、熱く跳ねた。
夏の陽射しが優しく差し込む部屋。
お菓子の匂いと、友達の賑やかな笑い声。
そして、自分のすぐ隣で、少しずつ「心」を育んでいく大好きなアンドロイド。
かつて孤独の檻にいた新那にとって、この何気ない休日のワンシーンこそが、何よりも特別で、何よりも失いたくない、かけがえのない「私の日常」そのものだった。



