箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい

 ありがとう。
 たったそれだけの、素朴な言葉だった。
 けれど、新那の胸は引き千切れそうになるほど熱く、激しく高鳴っていた。
 今まで何度も彼と言葉を交わしてきた。朝の挨拶も、学校の廊下でも、あの大邸宅の閉ざされた部屋でも、ずっと一番近くにいた。
 それなのに、夕陽に照らされた今の零は、まるで出会ったことのない別人のように見えた。
 違う。彼が急に変わったわけではない。自分の見方が、世界の色ごと変わってしまったのだ。
 これまでの新那にとって、彼はただの「護衛」だった。
 父親が勝手に連れてきた無機質なアンドロイド。
 過保護の象徴であり、自由を制限する檻のような存在。
 時々優しくて、時々面倒で、でも心の何処かで、感情なんて持たない冷たい機械だと割り切っていた。
 だから、こんな風に胸が苦しくなる理由なんて、本来はあるはずがなかった。

「……」

 風が吹き抜け、グラウンドの赤土が夕日に煌めく。
 目の前では、零がほんの少しだけ不安そうに立ち尽くしていた。
 新那からの返答を待つその不器用な佇まいを見て、新那の唇から、ふっと愛おしさが零れ落ちるように笑みが漏れる。

(なんだ……。そんな顔もできるんだね)

 新那は一歩を踏み出し、ゆっくりと口を開く。

「私も」

 零がハッとしたように顔を上げた。視線が、熱く重なり合う。

「私も、すっごく楽しかったよ」

 自然と言葉が出た。もう照れ隠しも誤魔化しもいらない。初めて飛び込んだ体育祭も、騒がしいクラスも、莉子という友達も、そして――この愛おしい男の子と手を繋いで走った時間も、全部が宝物だった。

「ありがとう」

 新那はもう一度、今度は心の底から真っ直ぐに笑いかけ、初めてその名を呼んだ。

「――零」

 ほんの二文字。それだけなのに、口にした瞬間に胸が跳ねた。
 零が一瞬だけ、奇跡でも目撃したかのように目を見開く。ずっとアールだった。R-01だった。けれど今、彼の電子頭脳ではなく心に直接届いたのは、一人の人間としての名前。

「……ああ」

 零は静かに頷いた。夕陽に染まるその横顔は、少しだけ照れているようにも見えた。
 機械の誤作動による気のせいかもしれない。
 けれど今の新那は、彼も自分と同じように、飛び上がるほど嬉しいのだと、そう確信できた。

「うわぁ……」

 突然、隣から限界までニヤニヤした莉子の声が響いた。

「何これ、極上の青春じゃん……!」
「ち、違うからっ!  莉子ちゃん!」
「何が違うのぉ~?」
「何がって……それは……!」

 言葉に詰まる新那を見て、莉子が、そして周囲のクラスメイト達がどっと温かい笑い声を上げた。
 茜色に染まるグラウンド。優勝の歓喜。友達の笑い声。そして、自分の名前を特別な響きで呼んでくれる、世界でたった一人の存在。
 それは、新那がずっと夢にまで見た、本物の高校生活そのものだった。