ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 押さえつけられたまま、男は荒い息を吐いた。関節を極められた腕が、微かに震えている。

「……っ、くく……」

 痛みに顔を歪めながら、男はそれでも笑った。全てを意のままに操る道化師の如き笑み。
 間近でその笑みを見たナオの眉が僅かに寄る。

「まだ余裕があるみたいだな」
「余裕……? 違う」

 男は、ゆっくりと視線だけをナギサへ向ける。

「滑稽なんだよ。何も知らないまま、ここまで来ちまったお前が」
「……何を」

 ナギサの声が僅かに強張る。
 聞きたくないはずなのに、耳を塞ぐことができない。だから、男の声が真っ直ぐ聞こえてくる。

「白鷺が、何を隠してるか……知ってるか?」

 男の身体を押さえつけるナオの手に、僅かに力が込められた。

「不用意に喋るな」
「……はっ、もう遅いだろ」
 
 男は口元に歪んだ笑みを浮かべたまま、視線を逸らさない。
 痛みよりも、吐き出すことを選んだ目だった。

「天城はな、“処理”してんだよ。余計なものを流させないために。人も、情報も、全部な」

 地下の空気が軋んだ気がした。言葉そのものが、この場に似つかわしくない重さを帯びている。
 理解が追いつく前に、本能だけが“危険だ”と告げていた。
 ナオの手にも、目に見えない緊張が走る。
 これ以上は踏み込ませるべきではない、そんな意思が滲む。
 だが、男は止まらない。抑え込まれたまま、口角を吊り上げた。

「……その一つが、“あの孤児院”だ」
「孤児院?」

 ナギサが反応を示したことが男の思惑通りだったようで、男はにやりと嫌な笑みを浮かべた。

「天城が流れを止めた。資金も、人も、全部な。残ったのは——」
「それ以上は必要ない」

 静かな、しかし有無を言わせないナオの声が男の言葉を遮る。
 男は短く息を漏らし、それ以上は口を開かなかった。

「ナギサ。これは、一体どういうこと?」

 問いは静かだが、その奥には確かな疑念があった。
 何故こんな場所で。
 何故こんな相手と。
 山程ある説明をナオはナギサに求めている。

「……っ」

 問われていると分かっていながらも、ナギサはすぐに答えられなかった。
 頭の中が、ぐちゃぐちゃだったから。
 孤児院。
 潰された。
 天城が。
 男が語っただけの情報の断片が、嫌に鮮明に脳内に残る。

(……なんだよ、それ……)

 自分は、踏み込んではいけない場所に足を入れてしまったらしい。
 ナオはそれ以上問い詰めなかった。ただ、静かに視線を外す。

「……一先ず、こいつの処理が先か」

 淡々と告げるその声に、感情は乗っていない。
 だが、ほんの僅かに警戒の色が滲んでいた。ナギサへ向けられたままの。
 遠くで、エンジン音が響く。
 先ほどまでの喧騒が嘘のように、この場所は静まり返っていた。