ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される


(暇じゃないです。格ゲーで忙しいです)

 心の中で、そんなことをぼんやりと思う。
 今まさに対戦が始まっている。ほんの数秒の判断で勝敗が決まる場面だというのに、何故こんなところで声を欠片れなければならないのか。
 だが、そんな内心とは裏腹に、目の前の男は一切の遠慮を見せなかった。

「黙って付いて来い」

 有無を言わせない声音で捲し立てた後、男はふっと顔を背ける。

「え、いや……」

 反射的に言葉が出かけたが、続かなかった。
 男はすでに背を向けている。振り返ることもなく、当然のように歩き出していた。

(いや、まだ何も言っていないんですけど)

 心の中でだけ抗議するけれど、その声が男に届くはずもない。
 ちらりと後ろを振り返れば、対戦台の画面には無情にも敗北の文字が表示されていた。
 どうやら、完全に操作が止まっていたらしい。入れた硬貨の分、損をした気分だ。

(後で絶対にワンプレイ分請求してやる……っ!)

 恐らく、いざあの男を相手にすると何もできないのだろう。
 小さく肩を落とし、観念して席を立つ。
 逃げる、という選択肢が頭に浮かばなかったわけではない。けれど、目の前の男の放つ妙な圧が、それを許さなかった。
 何を考えても結局は、数歩遅れてからその背中を追うことになる。
 ゲームセンターの喧騒が遠ざかり、自動ドアを抜けると、外の空気がひやりと頬を撫でた。
 そして、店の前に停まっていたそれを見て、無意識に足を止める。

「……え?」

 思わず、間の抜けた声が漏れた。
 そこにあったのは、一台のリムジンだった。
 黒塗りの車体は艶やかに光を反射し、明らかにこの場の景色から浮いている。
 こんなものが、何の説明もなくゲームセンターの前にある光景が理解できなかった。

(なんでリムジンがあるんだ……? この人は一体何者なんだよ)

 頭の中に疑問が次々と浮かんでは、処理しきれずに流れていく。
 男はそんな悶々とした様子など気にも留めず、後部座席のドアを開けた。

「乗れ」

 短く、それだけを言うと、持っていた鞄を剥ぎ取って車内に放り投げる。
 慌てて手を伸ばした頃には、座席の上に転がっていた。
 鞄に付けていた格ゲーのキャラクターのキーホルダーがテーブルに当たり、甲高い音を上げる。ぞっと背筋が凍った。

「……あ、はい」

 そして、すぐに鞄を取れば良いものを、何故か返事をしてしまった。
 自分でも理由は分からない。ただ、そうするのが当然であるかのように、身体が動いた。
 一瞬だけ躊躇い、しかし結局はそのまま足を踏み入れる。
 柔らかなシートに腰が沈み込と同時に、ドアが閉まる音がやけに重く響いた。