ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 いっそのこと、このまま忘れてしまった方が楽だろうか。
 過去の恋を塗り替えるように違う人を好きになって、その人と本気の恋愛をする方が楽に違いない。
 同じ財閥の御曹司なんてどうだろう。朔春は論外、浬は恋愛を好まない。ならば、もっと他にいい人がいるはず。

「好きなら好きって言いなよ」
「……言えたらこんなことになってないわ」
「あいつなら、連れ出してくれると思うよ。ミアちゃんが駆け落ちしようとか何とか言えば、きっと」

 さり気なく触れてきた手を握ることはない。
 ちらりと浬の顔を見ると、ミアはふっと顔を背けて歩き出した。これ以上この話をしていると、余計なことまで言ってしまいそうだったから。

「できるわけないでしょ。そんなこと……」

 俯いて発したその言葉は、誰に聞かれるでもなく喧騒に掻き消された。

「は、えっ。お嬢様?」
 
 次は何処に行こうかと少し離れた位置から言ってくる浬の声とは別に、やけに耳馴染みのある男の声がする。
 咄嗟に顔を上げると、それもそのはず、私服姿のナオが目を見開いて立っていた。

「ナオ!?」
「なお? ミアちゃん、誰こいつ」
「い、いや、俺からしたらあんたが誰って感じなんだけど……」

 両手に紙袋を提げている辺り、休暇中であるらしい。
 ナオが仕える主はアキラのため、いつ休みを与えられるのかは全てアキラが管理をしている。
 まさかこんな場所で顔を見ることになるとは思いもしなかった。

「ナオ、ちょっといいかしら」
「え、ちょっと……っ!」

 強引に腕を引いて近くの植え込みの裏にしゃがみ込む。

「一つ確認するわね。今日はただの休暇?」
「そ、そうですが。なんです、やましいことでもしていたんですか?」
「違うわよ!」
「じゃあ、あの男は誰なんですか。てか、ナギサの姿が見えないんですけど、まさかあいつ職務放棄───」
「ナギサには大仕事を頼んでいるの」

 屋敷の中で一番歳が近いナオだが、彼が仕えるのはアキラ。紛れもない、ミアと朔春の婚約を推し進めようと考える側の人間だ。
 そんな彼に、婚約を破断にするためのデートを大した親交のない佐倉家の息子としていると知られれば、アキラへ告げ口される可能性がある。
 できるだけごまかせるものは誤魔化して、ナオには早々にこの場を去ってもらわなければ。

「だから、ナオが気にすることではないわ」
「……本当にそうですかねぇ」

 目を細めて見つめてくるのは、完全に疑われている証拠だ。
 なんとかしてこの場から離れないと、作戦が台無しになってしまう。

「と、とにかく、私達はもう行くから」
「お待ち下さい。ミアお嬢様」
「何よ」

 後から立ち上がったナオは、やけに真剣な顔つきになると、真っ直ぐに浬へと近づいた。

「これ、持っててもらえる?」
「は?」

 手にしていた紙袋を強引に浬に押し付けると、再びミアの元へと歩き出す。
 目の前まで近づくと、“執事のナオ”として片膝を立てて屈んだ。右手は左胸へ、頭は微かに下る。

「理由は何とあれ、同じ執事仲間が危険に身を賭しているならば駆けつけるのが道理。お嬢様、私にご命令を」