ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 どうせなら、どうせならと、何度も有り得ない世界を思い描いては現実を知る。

「いつから好きなの?」

 まだ何も言っていないはずなのに、浬はさも当然のことのように話し掛けてくる。
 誰のことを好きなのかなんて、とっくに気付いているとでも言いたげで。

「……私が五つ。彼が九つの時よ」
「うわ、若いねぇ。何、なんで好きになったのさ」
「一人でいた私に話し掛けてくれたから」

 それだけで。なんて浬は言わなかった。
 ただ頷き、「そっか」と小さく呟いて歩き続ける。
 否定も肯定もない。それが返って、ミアの心を落ち着かせた。

「お、この服屋良さげじゃね?」
「そうね。入ってみましょう」

 不安に感じるなら、考え方を変えてみれば良い。
 このデート作戦を成功させて朔春との婚約を破断させられたら、彼といられる時間を守れる。
 
「やっと笑った」
 
 ガラス張りのアパレルショップへと入っていくミアの後ろ姿に向かって呟く。
 喧騒によって掻き消されたその声がミアに届くことはない。
 
「……何をしているの? 入口に突っ立っていると邪魔でしょう」
「はいはい、すみませーん」
「ニヤニヤして気持ち悪い……」

 柔らかな照明に包まれた店内には、淡い色合いのワンピースや季節物のトップスが整然と並び、ほのかに甘い香りが漂っていた。
 ガラス張りの壁が空間を広く見せ、楽しげに服を選ぶ客達の声が静かに弾んでいる。

「あ、この服可愛い」
「いいねぇ。こっちのスカートも似合うんじゃない?」
「……何そのミニ丈。巫山戯てるの?」
「すんません」

 これはただのデートではないらしい。
 ずっと屋敷に籠もって外の世界を知らずにいたミアにとって、ごくありふれたこの時間が新鮮だった。
 服屋に行って自分の好きな服を選ぶ。これが良いんじゃないか、こっちの方が着回しやすいんじゃないか。そんなくだらない会話すら今は心地良い。

「それ、さっきのよりいいんじゃね?」
「これ?」

 浬がそう言って指し示した時、ミアはレースとフリルが可愛らしい水色のワンピースを手にしていた。
 
「上品さが有りつつ、くどくない。私生活でも使いやすそうだけど」
「そう、ね。確かにいいわ」
「……あんまりお気に召さない感じ?」
「私の勝手でしかないわ……どうしても、ね」

 いつの日か、彼からよく似た人を知っていると言われたことがある。
 彼にとってはなんてことのない話だったのだろう。街中で偶然会っただけの人かもしれない。
 けれど、彼の口からその話を聞かされた時、言いようのない怒りに襲われた。
 
 ───どうして他の人のことは覚えていて、自分のことは覚えていないのだと。