ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 遡ること、数十分前。
 浬と合流してデート作戦が開始された。目の届く位置にナギサの姿が見える。

「気ぃ抜きなよ。ミアちゃん」

 今隣りにいるのは、八人目の専属執事ではない。
 朔春との政略結婚を壊すために手を組んだ、偽装の恋人である浬が隣りにいる。
 ナギサと違って、段差があれば事前に知らせてくれるし、自然な流れで手を握って先導することができる。
 流石は御曹司と言わざるを得ない、完璧なエスコート。

「あんたは楽観的すぎるのよ」
「俺には、ミアちゃんが緊張しすぎているようにしか見えないけど」
「そりゃあ……婚約が破談になってもあんたは関係ないから」

 関係ないから、あんたは気楽でいられる。とは、続けられなかった。
 浬とはただの協力関係として手を組んだだけ。
 白鷺家と天城家の関係が崩れようと、それによって両家が潰れようと、佐倉家だけは関係がない。

「佐倉家の息子としてなら関係ないかもだけど」

 それなのに、この男ときたら穏やかな微笑みを向けてくる。
 完全にフリーであれば、少しはこの微笑みに胸を高鳴らせたのだろう。

「一人の男として、ミアちゃんの幸せを優先したいんだよ」
「……何よ、それ」
「まあ、つまり。朔春との結婚でミアちゃんが不幸になるくらいなら、家を捨てでも君の幸せを願ってるってこと」
「え……?」

 思わず立ち止まり、数歩先で立ち止まった浬の背中を見つめる。
 意味が分からない。
 佐倉家も日本財閥の御三家に入る有数の家系だ。黒の書架という異名を持ち、世界中の情報網を管理する圧倒的な力を持っている。
 そんな家を捨ててまでミアに固執する意味が分からなかった。

「なぁ、ミアちゃん」

 わざとらしく語尾を上げると、浬は不敵な笑みを浮かべて振り返る。

「好きな人いんでしょ」
「はあ?」

 立ち止まったままのミアの目の前まで歩み寄ると、人の目など気にせず顎を上げる。
 今すぐにでも、という距離まで顔を近づけて止まった。

「早くしないと、俺が君を奪うからね」
「な、何を……」
「折角近くにいてくれてるんだから、さっさとアタックすればいいのに」
「───馬鹿!」

 パシッと音を立てて手を振り払うと、反対の手で手首を掴まれた。
 何をするんだと言う暇もなく、手首を掴まれたまま歩き出してしまう。
 道行く人が冷やかしの目で見てくるのがどうにも耐え難い。

(そんな目を向けられるなら、あいつといる時に───……)

 もう何が何だかよく分からなくなってきた。
 今は浬とのデート中であるのに、頭の中に浮かぶのは別の男の顔で。
 彼を想い描く度に、胸の奥が苦しくてたまらなくなる。