ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 それが少し寂しく思ってしまうのは、きっとミアのことも浬のことも裏切ることになる。

「笘篠」
「何でしょう」

 鏡越しに視線を合わせたミアは、くるりと振り返り小さく笑った。
 何かを企んでいるらしい。目にイタズラを仕掛けるのに興奮する子供の如き光がある。

「こっちに来て座って?」

 徐ろに立ち上がると、無理矢理手を引いて椅子に座らせようとしてくる。
 抵抗する気力も湧かぬまま、されるがままに椅子に座った。
 ミアは背後に回るなり、両頬を掴んだかと思うと顔を上げて鏡の中の自分と目を合わせようとした。

「え? ちょ、何を───」
 
 隣りに立っていたマアサから櫛を受け取ったミアは、意気揚々とナギサの髪に触れる。
 白鷺家に来たばかりの頃にマアサに髪を切られて以来、一度も髪を切っていなかったからか少し襟足が伸びていた。 
 その襟足を物珍しそうに見ながら櫛で梳いていく。
 腰までの髪を抱えるミアにとって、肩の上で外に跳ねる襟足は慣れないのだろう。

「あのー、お嬢様……? 何故、僕が髪を梳かれているんでしょう」
「細かいことは気にしない気にしない」

 軽い調子で言いつつ、ミアの手は止まらない。ぎこちないながらも、真剣そのものだ。
 櫛を通すたびに時折引っ掛かって「いたっ」と小さく声が漏れる。

「ちょ、待ってくださいって! 普通に痛いです!」
「動くからでしょ。じっとしてなさい」

 ずっと大人しくしているのに、むしろ悪化している気がする。
 けれど、鏡越しに見えるミアの表情はやけに楽しそうで、強く言い返す気にもなれなかった。

「ルナ、これどうやるの?」
「えっ!? わ、私に聞きますぅ!? さっき怒られたばっかりなんですがぁぁ!?」
「……マアサ」
「右からではなく、左から流すように。力を抜いてください、お嬢様」

 結局、助言を受けながらなんとか形を整えていく。
 その様子を見て、ナギサは小さく息を吐いた。

(何やってんだ、僕)

 令嬢の身支度を“見守る側”のはずが、いつの間にか巻き込まれている。
 それでも、悪くない、と思ってしまう自分がいた。

「……よし、こんな感じかしら」

 しばらくして、ミアが満足げに手を離す。
 鏡に映る自分の髪は多少整ってはいるものの、正直、完成度は微妙だ。
 けれど、ミアが真剣にセットしてくれたと言うだけで違う自分になれた気がする。

「どう?」

 少しだけ期待を含んだ声が背後から聞こえてきた。
 その問いに、ナギサは一瞬だけ言葉を選んでから、鏡の中の自分と目を合わせて言う。

「まあ、悪くはないです」
「何よそれ」

 不満げに頬を膨らませるが、その表情は何処か嬉しそうでもあった。