ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 そうだったらいいなと密かに考えてしまうのは、もう戻れないという証拠なのかもしれない。
 執事界の常識なんて知りもしないが、考えずとも仕える主に対してそういう感情を抱くことはご法度。
 こんなにも慌てていることを誰かに知られたりでもすれば、間違いなく消される。

(元の生活に戻れるんなら楽だけど……そうなったらお嬢様はどうなる?)

 ナギサが執事を辞めさせられれば、形は違えどミアの元から執事が去ることになる。
 過去に辞めていった七人の執事のようにナギサもなるということだ。
 じゃじゃ馬娘だと、可愛げがないと言って逃げ出した七人の執事と同じになってしまう。
 それだけはあってはならない。
 あの時宣言したのだ。ミアとルナがいる部屋の中で、自分は執事を辞めないと。

(傍にいるって言ったんだ。僕の気持ちなんて関係なく、隣にいたらいい)

 ───ブブブ、ブブブブ。

 その時、突然ズボンのポケットに入れていたスマホが激しく振動し出した。
 慌てて取り出して画面を見ると、『非通知設定』と表示されている。

「誰だ?」

 しばらく画面を見たまま待ってみるが、一向に切れる気配がない。

「あー、はいはい。今出ますよっと」

 しつこいくらいに鳴り続く通知を消すためにも、乱暴に通話ボタンを押して耳に当てた。
 騒がしい物音が少し聞こえた後、やけに耳馴染みのある声が聞こえてきた。

『お、やっと繋がった。おーい、聞こえるー? 地味助ー』
「は、えっ、佐倉君!?」

 おかしい。彼の声がスマホから聞こえてくるなんておかしい。
 浬と連絡先を交換した記憶など微塵もないのに、どうして彼から電話が掛かってきたのだ。

「なんで僕の連絡先知ってるのさ……っ!」
『俺、佐倉家の御曹司だぜ? 同じ大学通ってるやつの連絡先見つけるくらいチョチョイのチョイ』
「犯罪だ!」

 今はこんなことをしている場合ではない。一先ず、こんな廊下の真ん中ではなく人気のない場所に行かなければ。
 すぐ近くにあった使用人用の小部屋へと飛び込むと、鍵を掛けて部屋の奥へと身を寄せた。

「それで、何の用?」
『前の見合いの時に作戦を練っておくって言っただろ。その作戦がまとまったから伝えるために電話掛けたんだ』

 以前の見合いで政略結婚断固拒否同盟なるものを結んだ記憶が蘇る。
 今になって思えば馬鹿馬鹿しい同盟名だが、浬は本気で作戦を進めていたらしい。
 自分だけが何もしていない事実に、ナギサは強く奥歯を噛んだ。