ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 穏やかなジャズが流れる店内で、窓の外に見える世界をぼんやりと眺める。
 昼下がりの空間の一角、運ばれてきたカップに口は付けず、ただ時間が過ぎるのを待った。

『そろそろだな』
「ええ。ぴったりよ」

 耳に付けている小型の通信機から浬の声が聞こえてくる。
 ちらりと店内の奥へと視線を向けると、完全に空間に溶け込む浬の姿があった。
 約束の時間まで、あと数十秒。

 ───カラン。

 軽やかな音を立てて、店の扉が開いた。
 ほんの一瞬だけ、空気が変わる。店内に流れていた穏やかな時間に、異質なものが混ざるような感覚。
 
「待たせたな」

 視線を上げるまでもなく、誰が来たのかすぐに分かる。
 目の前の椅子を引いたその男は、迷いも見せずに座った。

「時間丁度。流石ね」
「お世辞は必要ない。呼び出した要件を話せ」

 そう問いながらも、大して興味を示そうとはしない。
 静かだったはずのカフェが、ほんの少しだけ息苦しく感じられる。
 流れているジャズは変わらない。客の声も、音も、何も変わっていないはずなのに。
 ただ一人、この男が現れただけで、この空間は別のものへと変わってしまった。

「では聞かせてもらうわ。貴方にとって、私達の結婚は何の意味がある?」
「意味だと?」
「貴方は理屈で動く人。自分に利益がなければ、結婚どころか天城のご当主様にすら従わないでしょう」

 違うと言わない辺り、少なくともこの面会は朔春にとって意味があるのだろう。
 朔春の目の色が変わる様をミアは見つめ続けた。

「……価値があるからだ。俺にも、お前にも」
「価値ですって?」

 カップの中にコーヒーが揺れ動く。
 ピンと張り詰めた空気は、息を吸うことすら憚られるほど。
 テーブルの下に隠したてをぎゅっと握り、ミアは崩れる考えを必死に繋ぎ止めた。

「白鷺が持つ“金の流れ”と、天城が握る“物流”。それらが結びつけば、世界の大半をより効率よく回せるようになる」
 
 お前だってそう思うだろう、と朔春は視線で訴えかけてくる。
 つまり、この政略結婚に愛なんてものはない。政略結婚に愛を求めるのもおかしな話だけれど。

「流石、分かりやすいわ」
「お前個人の話じゃない。白鷺の“器”として、お前が適している。それだけだ」
「私が白鷺の器であるなら、貴方は天城の器ってことね」

 どんな皮肉にも物怖じしないのは、この場の支配者が朔春であるという何よりの証拠。
 下手に動けば、彼に負けるのは明白である。