ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 それに気付いた時、胸の奥に、すとん、と何かが落ちた。
 理解してしまった、という感覚。同時に、言いようのない冷たさが背筋を這い上がってくる。
 今、自分は、“見せられているもの”と、“隠されているもの”の境界に足を踏み入れているのだと。

「――……ナギサ」

 不意に、静かな声で名を呼ばれる。
 思考を引き戻されるように顔を上げると、カリンの視線が真っ直ぐにこちらを捉えていた。逃げ場を与えない、真っ直ぐすぎる視線。
 この部屋に来て初めて、二人の視線が交わる。

「どうして、そのようなことを?」

 声音自体は穏やかだ。けれど、その奥に潜む意図は隠されていない。

「天城家、それも朔春様について。貴方が知る必要のある情報とは、思えないけれど」
 
 一歩も引かない問いだった。
 責めているわけではない。だが、“理由を言え”と無言で迫ってくる圧がある。
 ナギサは、一瞬だけ言葉を失う。
 さっきまで頭の中で組み立てていたはずの言い訳が、綺麗に消えていた。

(まずいな……これ、誤魔化せるか?)

 下手なことを言えば、すぐに見抜かれる。かといって、正直に話せば余計に疑われる。
 選択肢がない。
 ほんの一拍の沈黙が、やけに長く感じられた。

「……気になっただけ、です」

 長い時間を掛けて考えを巡らせた結果、結局、出てきたのは曖昧な言葉だった。
 自分でも分かる。問に返すにしては弱い答えだ。

「“だけ”で動くには、少し踏み込みすぎているように見えるわ」

 口調こそ柔らかく、しかし確実にナギサの問を彼女が抱く疑念の核心へ寄せてくる。
 今更、ここから逃がす気はないらしい。
 ならば、どう答えるのか賢明か。深く息を吸うと、心臓が落ち着いていくのを感じた。

「……執事として、です」

 息を吐き出した時、零れ落ちた言葉は自分でも思ってもみないものだった。

「お嬢様に関わることなら、知っておくべきだと思ったので」

 嘘ではない。だが、全てでもない。
 そんな曖昧な気持ちを抱いた答えを聞いたカリンは、しばらく何も言わなかった。
 ただ、値踏みするようにナギサを見つめる。
 じわじわと沈黙が重く伸し掛かり、やがて――……。

「……そう」

 組んでいた腕を下ろすと、短くそれだけを返した。
 肯定とも否定とも取れない曖昧な一言だが、その声音には僅かな変化がある。
 完全には納得していない。だが、今はそれ以上追及しないという線引き。

「なら一つ、忠告しておくわ」

 カリンは視線を外さないまま、淡々と続ける。

「“知るべきこと”と、“知らない方がいいこと”は、この家でははっきり分かれている」

 ゆっくりと紡ぎ出される言葉は、厳しい現実を知らしめるもの。
 だから、その重みは十分すぎるほどに伝わってくる。

「貴方が今、どちら側に足を踏み入れようとしているのか……少しは自覚しておきなさい」

 逃げ道を残すようでいて、実際には後戻りを許さない忠告だった。