ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 屋敷の中を宛てもなく歩く。
 目的は決まっているのに、肝心の場所が分からないのは迷子ということ。

(何処にいるんだろ)

 使用人の動きは規則的なようでいて、外から来たばかりの自分にはまだ読めない。
 廊下を曲がり、階段を降りて、また別の廊下へ。
 何度か同じ場所を通っている気がして、思わず立ち止まる。

(……迷ってるな、これ)

 小さくため息を吐いた、その時だった。

「――……ですから、こちらはすでに手配済みで……」

 聞き覚えのある声が、扉の向こうから漏れてくる。

「……カリンさん?」

 思わず顔を上げ、そっと部屋の扉へと近づく。
 間違いない。落ち着いた、あの声が部屋の中から聞こえてきた。

(ラッキー!)

 ようやく見つけた、そう思って扉に手を掛けた時。

「それで足りると思っているのか?」

 外で木々を揺らす風の音に重なるように、低く押し殺された男の声が聞こえた。
 その声の主が誰なのか、知らなければいいものをナギサは知っている。

(アキラさん?)

 静かで、それでいて有無を言わせない響きのある声。
 ミアとは違う種類の“圧”を秘めている。
 扉越しでも分かるほど、空気が張り詰めていた。

「申し訳ありません。再度確認を――」
「確認ではなく、結果を出しなさい」

 空気が、音を立てて張り詰めた気がした。
 それまで続いていた会話の余韻すら、切り落とされたように消える。
 言葉の温度は低い。だが、そこに迷いは一切なく、ただ一つの結論だけを突きつけていた。
 冷たい、というよりは、無駄を一切許さない刃のような鋭さ。

(……なんか、タイミング悪かったかも)

 さっきまで“ラッキー”なんて思っていた自分を殴りたい。
 少しでも物音を立てれば、この張り詰めた空気を壊してしまいそうで、思わず息を潜めた。
 扉一枚隔てているはずなのに、内側から滲み出る空気が違う。

「天城側の動きは?」
「現在、調整段階かと。ですが――」
「“かと”はいらない。確定した情報だけを持ってくるようにいつも言っているだろう」
「……失礼、いたしました」

 それ以上の言葉は続かず、沈黙が部屋の中に静かに落ちる。
 たったそれだけの遣り取り。
 声を荒げたわけでもない。怒鳴りつけたわけでもない。それなのに、逃げ場のない圧だけが、じわじわと空間を満たしていく。
 見えない何かに喉元を掴まれているような感覚。
 思わず、胃の辺りがきゅっと締まった。

(ミアお嬢様とは、全然違うな……)

 同じ屋敷にいるのに、まるで別世界だ。
 あの部屋の向こうだけ、空気が違う。