ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される


(何かある……?)

 そう考えるのが、自然だった。
 ゆっくりと息を吸い込み、喉の奥に引っ掛かるものを押し込めるようにして、言葉を紡いだ。

「あの……どうして、そこまでして婚約を破断させたいんですか?」

 問いを投げた瞬間、空気が変わった気がした。
 風が止まる。
 音が消える。
 そんな錯覚に陥るほどに、静寂が張り詰める。

(この人を疑いたくはないけど、怪しすぎる)

 イツキはすぐには答えなかった。
 微動だにしないまま、ナギサを見ている。
 その視線は、いつもと変わらないはずなのに何処か違う。
 値踏みするような、試すような。
 あるいは、選別するような。
 ほんの一瞬だけ視線が逸れるそれは、迷いか、それとも次の言葉を選ぶための“間”なのか。

「……単純な話だ」

 距離が離れた瞬間、イツキの纏っていた空気が解けた。
 肌を刺していた緊張感が消え、詰まっていたい気がすんなりと通っていく。

「ミアお嬢様は、あの婚約を望んでいない。それだけだ」

 拍子抜けするほどに、あっけらかんとした答えだった。

「望んでいない、から……?」
「主の意思を優先するのが執事の役目だ」

 淡々としているのに、その言葉には一切の揺らぎがない。
 まるで、始めから問われることを予測し、答えを用意していたほど自然である。

「たとえそれが、家の意向に反するものであってもな」
「……それで、いいんですか?」

 思わず口をついて出ていた。
 白鷺家という巨大な存在。その意思に逆らうということが、どれほどのものなのか。
 屋敷に来てまだ日が浅いナギサですら、悪い想像はつく。

「問題ない。旦那様は旦那様の考えで動いている。俺は役目を果たすだけだ」

 表面上だけを聞いていれば、真っ当な答えに聞こえる。

(……本当に、それだけか?)

 けれど、胸の奥には、僅かな引っ掛かりが残っていた。
 言っていることは、筋が通っている。執事としては、むしろ正しいのかもしれない。
 だが、それだけで、あの言葉になるだろうか。
 “壊す”など。

「……ナギサ」

 名前を呼ばれ、思考が途切れる。

「お前は、どうしたい」
「え……?」
「このまま見ているだけか。それとも、動くのか」

 選択を迫るような言い方ではない。
 ただ、事実を並べているだけ。それなのに、逃げ場が塞がれているようで。

「……僕は」

 答えるにも言葉に詰まった。
 正解なんて分からない。ミアや浬側に付くか、イツキに付いて外から動くか、はたまた両者を裏切って朔春側に付くか。