ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 近頃の日課は、屋敷の構造を理解するために敷地中を散策すること。
 ミアの専属執事として雇われてから数日。毎日散策を続けて、ようやく各部屋の役割と庭への生き方を覚えた。

「今日も散歩か。ナギサ」
「イツキさん」

 執事とは言え、ミアが望まず仕事がない時は束の間の暇がある。
 そういった暇を見つけて散策し、庭のベンチに座ってぼんやりと空を見上げるのが当たり前になっていたのだった。

「単刀直入に聞かせてもらうが、前に頼んだあれの進捗はどうなっている」
「あれ?」

 何かイツキに頼まれたことなどあっただろうか。
 一瞬逡巡し、そうして思い出す。

『ミアお嬢様の婚約を破断させろ』

 屋敷に来たばかりで、白鷺家についてまだ何も知らなかった頃。
 知らないからこそ都合よく利用されていると思うには、どうにも出来すぎている気がした。

「……ああ、あれですか」

 浬と結んだ同盟。あれはイツキに頼まれたから結んだものではない。
 ナギサが自分自身で浬の提案に乗ると決めたのだ。だから、これはイツキに話すことではない。
 空に向けていた視線を降ろし、曖昧に笑って答えた。

「まだ、何も……というか、どう動けばいいのかも分からなくて」
「そうか」

 短く返すだけで、その後に言葉は続かない。
 庭を抜ける風が、二人の間を通り過ぎていく。木々が揺れる音だけが、やけに大きく響いた。
 眉がほんの僅かに寄り、それは苛立ちなのか、焦りなのか、ナギサには判別がつかない。
 だが、次に何を言われるのか分からないという緊張だけが、じわじわと胸の奥に広がっていく。
 沈黙は決して長くはなかったはずなのに、妙に重く感じられた。

「慎重に進めろ、と言いたいところだが。そうも言ってられん」
「と、言うと?」

 間髪入れずに聞き返すと、イツキは少し周囲へ目線を向けた。
 誰か他にいないか確認したのだろう。
 ずいっと距離を詰めたイツキは、ナギサだけに聞こえる声量で言う。

「時間が無い。旦那様はすでに天城との話を詰めに入っている」
「詰めって……そんなに早く話が進むものなんですか?」
「進めているのは旦那様だからな」

 否定も、疑問も差し挟む余地がない。そんな空気だった。

「白鷺と天城が結ぶ意味は、お前でも理解しているだろう」
「はい」

 金融と物流。
 世界の血流と、世界を巡る体そのもの。
 その二つが結びつくということは、ただの提携ではない。
 金の流れも、物の流れも、その全てが一つの意思の下に統合されるということだ。
 経済も、流通も、例外なく飲み込まれる。

(……どうして、イツキさんも佐倉君も婚約を破断させたがるんだ?)

 ただの気まぐれではないはずだ。
 浬はともかく、イツキは違う。あの人が意味もなく動くとは思えない。
 なら、この婚約には――。