ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 体感では二時間、実際は数秒という時間が終わり、凪冴は背もたれ付きの椅子に座らされた。
 十数年ぶりのカットクロス(何処から取り出したか分からない布)を付けられ、姿見にはてるてる坊主姿の凪冴が映る。
 背後に立ったマアサの手には、櫛と鋏。そしてそのまた後ろには、イツキと興味なさげに本を読んでいるナオが控えている。
 何かあれば彼らに助けを求めよう。流石に二度も抱き付かれては耐えられない。

「ナオちゃんから頼まれて来てみたはいいけれど……私でも天然パーマの髪は切ったことないわぁ」
「む、無理に切らなくても。髪を結ぶなりするんで」

 流石に、逃げるとは言えなかった。
 人の良さそうなマアサ相手でも、ここから逃げると言えば態度を変えてくるかもしれない。
 ここは少しでも穏便に、丁寧に自分の立場を作らなくては。

(格ゲーだって、始めから暴れたら後でやり返される。まずは状況把握と戦略を練って……)

 ───ジョキッ。

 思考を断ち切るように、髪に鋏が入る音が部屋に響いた。
 背後に控えていたイツキが目を見開く様を姿見越しに見て、凪冴は自身へと視線を向ける。
 首を挟んで右側の襟足が短くなっていた。
 少しずつとか、調整しながらとか、そんなものは感じさせない一刀。

「ま、マアサさん……」

 幼い頃のトラウマが蘇り、制止の意も込めて名を呼ぶ。
 マアサの髪を切る手つきは、幼い頃に凪冴の髪を切った美容師と同じく大雑把だったのだ。
 そして、最終的には左右非対称のぱっつん前髪にされて……。

「……おおぉ……」

 カットクロス代わりの布が外され、凪冴は前のめりになって姿見を覗く。
 
「癖っ毛なら、バッサリ行っちゃった方がいいのよ」
「す、すげぇ……なんか、自分じゃないみたいだ」

 こだわりがあったわけではないけれど、長年連れ添っていた襟足が無くなり、髪で隠れていた耳が見えている。
 目を覆い隠していた前髪は、絶妙な長さで無造作にまとめられていた。

「流石はメイド長」
「ふふふ、褒めたって何も出ないわよー。美味しいお菓子期待しておくわね」
「承知」

 それまで見向きもしていなかったナオのお世辞に、マアサはすっかりいい気分になっている。
 眉間に皺を寄せて見守っていたイツキもまた、何処か安心した表情を浮かべていた。
 背後で交わされる会話を聞き流しながら、凪冴は姿見に映る自身に見入る。

「さて、一先ず見た目だけは整えられたか。ナギサ」
「は、はいっ」

 背後から掛かった声に慌てて立ち上がり、イツキ達の方に向き直る。

「髪を切るというのは、邪念や不安を断ち切るための行為でもある。新たな姿に変わった今、お前はかつての自分とは変わった」
「イツキー、硬い硬い。ナギサもそんな深く考えないでいいよ。逃げたいーとか、不安だーとか言う気持ちと一緒に髪を切ったんだから、これからはそんな事は思うなって言ってるだけ」

 読みかけの本を閉じながら呑気に言いながらも、ナオの目は真っ直ぐと凪冴に向いている。
 逃さない、怠けさせない、そういった圧力が瞳に宿っていた。

「半端な気持ちでここにいることは許されない。覚悟しろってこと」

 一人の人間に仕えるには、それ相応の覚悟が必要になる。
 これは単なる夢物語ではないのだと、凪冴は嫌でも思い知るのだった。