ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 最も、そんなことを本人に言えば締められるのは目に見えているけれど。

「……では、案内する」
 
 一人だけ放ったらかしにされていると、ちらりと横目で見てきたイツキが短く告げた。
 不本意そうではあるが、やはり主であるケイゾウに命じられると逆らえないらしい。
 眉間に皺を寄せて不本意そうではあるが、教育係としての責務は全うするつもりなのだろう。

「え、あ、はい……」

 凪冴は反射的に頷く。もはや流れに逆らう気力はなかった。

「ミアお嬢様もご一緒に」
「は? なんで私が」

 娘は露骨に顔を顰め、精一杯背伸びをしてイツキを睨め付けた。
 なんだか、親子というよりも兄妹のように見えてくる。ずっと昔から一緒にいる、そんな信頼関係が二人の間にはあった。

「教育の一環です」

 ぴしゃりと、イツキは言い切った。
 一瞬の沈黙の後、娘は不満げに目を細めたが、やがて小さく息を吐く。

「……はあ、もういいわ」

 投げやりにそう言うと、くるりと背を向けた。

「付いて来なさい。迷っても知らないから」

 その言い方は相変わらず棘があったが、何処か“待っている”ようにも見えた。
 凪冴は一瞬だけきょとんとした後、慌ててその背を追う。

(え、待ってくれるタイプなんだ……)

 ほんの少しだけ、意外に思う。どちらかというと、待つというより連れ回すようなタイプに見えていたから。

「……おわぁ………」

 屋敷の中へと足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
 玄関からロービーにかけてだけでも、大学の教室と同じくらいかそれ以上はある。
 空気はひんやりとしていて、静かで何処か張り詰めていた。
 床は磨き上げられた石で、足音がやけに響く。
 高い天井からはシャンデリアが下がり、壁には見たこともないような絵画が並んでいた。
 ロビーの真ん中で立ち止まり、思わず見上げる。完全に場違いだ、という感覚が強くなった。

「きょろきょろするな」

 後ろから低い声が飛んできて、びくりと肩を震わせる。

「ひゃいっ」

 咄嗟に出た変な声が辺りに響き、先を進んでいた娘が振り返るなり鋭く睨め付けてきた。
 慌てて視線を戻し、前を向く。
 すると、後ろを歩いていたイツキが少し先に進んで振り返った。

「ここは白鷺家本邸だ。お前がこれから生活し、働く場所でもある」
「は、はい……」
「まずは基本的な構造を覚えろ」

 廊下は長く、分岐も多い。曲がるたびに似たような景色が続き、方向感覚があっという間に狂いそうになる。
 はぐれぬように必死に二人の後を追っていると、やがて廊下の突き当りにある部屋の前で立ち止まった。

「こちらが応接室」

 そう言うイツキの声と共に、目の前にあった扉が開かれる。
 娘は廊下で待機し、凪冴はイツキの無言の圧につられて中に入った。
 中は広く、重厚な家具が並んでいる。ソファ一つ取っても、明らかに自分の部屋のそれとは格が違う。

「……うわ……」

 思わず声が漏れてしまうくらい、目の前の光景は自分の知らない世界だったのだ。

「声を出すな」
「す、すみません……」

 部屋の中を見渡していると、横に立っていたイツキに容赦なく怒られる。

(厳しい……)

 仕事の一環なのだから仕方ないのだろうが、一々棘のある言い方をされると精神的にくるものがあった。
 ただの大学生で、格ゲーオタクのメンタル豆腐人間には、イツキという人物は刺激が強すぎる。