ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 ここで浬の名前が出た。こちらの情報戦の動きをこの男はすでに掴みかけている証拠である。

(遅かれ早かれ気づかれるとは思ってたけど、まさかこんなにも早いなんて……佐倉君ですらこの人には敵わないのか)

 ナギサは脳内で激しく警報が鳴り響くのを、超人的な精神力で押さえ込んだ。
 ここで視線を泳がせたり、下手に否定の言葉を並べ立てたりすれば、それこそアキラの『読み』を確定させることになる。

「何のことでしょうか」

 ナギサはあえて無表情を貫き、低く平坦な声で返した。

「僕はただの新米執事です。辞めていった他の執事達のことは、お嬢様から少しだけ個性的で長続きしなかったと聞きました。アキラ様がわざわざそれを僕にお話しになる意図が、少々測りかねます」
「そうか。ミアは君にそう言ったんだね。……それじゃあ何も知らない部外者と変わらない」

 アキラは深くソファに背を預け、天井を仰ぐようにして短く笑った。
 その仕草には焦りなど微塵も感じられない。しかし、だからこそ不気味だった。

「なら、教えてあげる。彼らが何故『辞めさせられた』のか。……理由は至ってシンプルだ。全員、私が処理した。白鷺の不要な過去に、不用意に触れようとしたからだよ」

 アキラの視線が、ゆっくりと、今度はナギサの『右手の包帯』へと向けられる。

「知りすぎた者は消える。それがこの屋敷の、いや、白鷺という世界の絶対的なルールだ。……そしてナギサ。君は、自分が何故『八人目』としてここへ来られたか、本当の理由を知っているかい?」
「本当の理由、ですか」

 ナギサはアキラの視線を真っ直ぐに受け止めながら、低く、落ち着いた声を返した。
 背中を伝う汗は冷たいけれど、脳内は驚くほど冷徹に冴え渡っている。
 アキラは細めた目の奥で、ナギサの反応を愉しむように言葉を紡いだ。

「不思議だと思わなかったかい?  中学生より前の記憶を失くした身元も不確かな男が、世界を牛耳る白鷺の一族の、それもミアの専属執事という要職にあっさりと就けた理由が」

 アキラは机の上の灰皿に視線を落とし、自嘲気味に口元を歪めた。

「父さんも、ミアも、お前を『ただの偶然見つけたお気に入り』だと思っている。だが、そんなわけがないだろう。この敷地内に入る全ての人間は、私の検閲を通っているんだ。……ナギサ。お前をこの屋敷に引きずり戻したのは、私だよ」

 その一言が、ナギサの脳内で強烈な警告音となって響いた。

(アキラ様が……僕を呼んだ?)

 イツキから聞いた話では、ナギサは実験の『唯一の成功例(生き残り)』。そして天城朔春が喉から手が出るほど欲しがっているパーツだ。ここまでナギサを連れてきたのは、紛れもないイツキである。
 アキラは、自分の過去の罪を揉み消すために、天城家へ差し出す最高の『手土産』として、記憶を消して一般社会に紛れていたナギサをわざわざ探し出し、ミアの執事という形でおびき寄せた。
 彼が言いたいのは大方そんな所らしい。

「お前は、天城との契約を完璧に完了させるための、最後のピースだ。お前という『実験の成果』を天城に引き渡せば、私の過去の汚点は全て、未来永劫この世から消滅する」

 アキラは再び上体を前に傾け、ナギサの顔を覗き込むように笑った。

「妹のミアも、お前という最高の玩具を私に差し出されて満足だろう?  天城に嫁ぐまでのほんの短い間、昔の遊び相手と執事ごっこができるんだから。……どうだい、これが八人目の真実だ。君がいくら佐倉の小僧とコソコソ動こうが、最初から私の掌の上なんだよ」

 圧倒的な絶望を突きつけるような、ボスの語り。
 普通ならここで心が折れて立ち尽くすか、あるいは怒りに任せて掴みかかる場面だ。
 だが、ナギサの口元からは、ふっと、小さく息が漏れた。
 それは恐怖でも絶望でもない。完全な『確信』を得た時の、格闘家の笑みだった。

「……なるほど。よく分かりました」

 ナギサはゆっくりと椅子の背に体を預け、アキラを見据える。

「アキラ様。あんた、今めちゃくちゃ早口ですよ」
「何……?」
「冷静を装って、僕の選択肢を全部奪ったつもりでしょうけど……これ、格ゲーで言ったら『体力がドット削られただけで焦って超必殺技をぶっ放してきた状態』です。要するに、それだけ浬のハッキング工作が効いてて、天城との契約が破綻しそうだから、僕を脅して動きを止めにきたんですよね?」

 ナギサの言葉に、アキラの完璧だった笑みが、ほんの一瞬だけピキリと凍りついた。