ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される


 目の前の光景に理解が追いつかず、思わずそう叫んだ時だった。
 中庭の向こう側にある重厚な屋敷の扉が、ゆっくりと開く。ぎい、と低く軋むような音が、やけに大きく響いた。
 中から現れたのは、二人。
 一人は、落ち着いた雰囲気を纏う中年の男性。
 背筋はまっすぐに伸び、無駄のない所作一つ一つに威厳が滲んでいる。
 仕立ての良いスーツを身に纏い、その立ち姿だけで、この場所の“主”であることを無言のうちに示していた。

(……ん?)

 そして、その少し後ろに控えるようにして立つ、少女。
 十代後半ほどだろうか。
 長く整えられた髪に、均整の取れた顔立ち。
 何処か人を寄せ付けないような冷ややかな空気を纏いながらも、その美しさは一目で分かるほどだった。
 まるで、別世界の住人。そんな言葉が頭に浮かぶ。

「旦那様、連れてまいりました」

 背後にいた男が短く告げる。さっきまでの強引な態度は何処へやら。
 微かに低くなった腰に、丁寧な言葉遣いは男の立場を表しているのだろう。

「ご苦労様。イツキ」

 旦那様と呼ばれた中年の男は、穏やかな声でそう返した。
 男、改め、イツキは一歩下がり、恭しく頭を下げる。そのままの流れで、隣に立っていた背中を、どん、と強く押した。

「うわっ!?」

 予想外の力に、たたらを踏むようにして前へと押し出される。危うく転びそうになりながら、なんとか踏み留まった。

「……っ」

 まだ車酔いが覚めていないのだろうか。やけに心臓がうるさい。
 その上、目の前には、明らかに自分とは住む世界の違う人間達がいる。巷で人気の異世界系ファンタジーの世界か何かなのか。

(……逃げたい……帰りたい。ゲームしたい)

 そんな衝動が一瞬だけ頭を過るが、足は動かなかった。

「すまないね。いきなりこんな所に連れて来られて、困惑していることだろう」

 男性が穏やかに口を開けば、自ずと背筋が伸びる。
 斜め後ろに立っているイツキがそうするのもあるが、何と言っても、逆らえない圧力が男性からは感じられる。
 その声音は柔らかい。しかし、その奥にある“何か”が、妙に重く感じられた。
 本能で彼に逆らってはいけないと感じ取り、コクコクと激しく頷く。

「だが、単刀直入に言わせていただく」

 間を置かず、言葉が続く。

「今日から、私の娘の執事として働いてもらう」

 一瞬、言葉が耳を通り抜けていく。
 その言葉に理解が追いつくまで、数秒の空白があった。

「……はいぃ!?」

 間の抜けた声が思いきり裏返り、中庭中に響き渡る。
 自分でも驚くほど大きな声だった。

「え、え、ちょっと待ってください、あの、え?」

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。
 執事? 娘? 今日から? なんで?
 と言うか、大学生になりたての平凡以下が何故執事なんかに……。

「いやいやいや、何を言ってるんですか? ……ここ何処ですか、ていうか僕、さっきまでゲームセンターに――」

 あれやこれやと意味のない言葉が止まらない。
 自分でも何を言っているのか分からなくなりながら、それでも必死に現状を理解しようとする。
 だが、目の前の二人は、まるでそれを気にした様子がなかった。