ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 わざと靡かせるように、ミアは甘いと息をかける。彼女が何を求めているのか嫌でも伝わってきた。

(――いや、待て待て待て。落ち着け僕!)

 ドクドクと心臓はうるさかったが、それは「恐怖」と「警戒」によるものだ。
 ナギサは元々、画面の向こうで屈強な大男達を動かし、ミリ単位の間合いの管理と、コンマ数秒の駆け引きに全てを捧げてきた人間。
 三次元の恋愛なんて興味の範疇の外だし、いくら目の前の主人が絶世の美少女であろうと、靡くような情緒は持ち合わせていない。    
 ただ、この状況は単純に「詰み」に近かった。
 完全にマウントを取られ、こちらの選択肢を全て潰されている。
 白鷺の闇だの初恋だのという話の真偽はともかく、ここで感情に流されてこのバグのような超展開を受け入れるわけにはいかなかった。

「お嬢様」

 ナギサは視線を僅かに逸らし、極めて平坦な声を絞り出した。

「恐れ入りますが、これ以上は業務時間外です。あと、こういう行為は契約内容に含まれていないんで、どうかお退きください」
「……は?」

 どれだけ熱烈に迫っても、一切の動揺を見せずに「業務」として処理しようとするナギサ。その温度差に、ミアが呆然と目を見開く。
 ほんの一瞬、彼女の拘束が緩んだ。
 流石にやりすぎたか、と一抹の後悔が押し寄せる。イツキに教わった執事の業務規約と彼の真似をしてみたのだが。

「……っ」

 ミアの大きな瞳に、みるみるうちに涙が溜まっていくのが見えた。
 今にも零れ落ちそうなほどに潤んだ瞳が、ナギサを真っ直ぐに見つめている。唇をぎゅっと噛み締め、泣き出すのを必死に堪えているような、そんな顔だった。

(え……?)

 ナギサは呆気に取られた。
 世界を牛耳る白鷺家のお嬢様。絶対的な支配者として、自分をハメ殺さんばかりの勢いで迫ってきたはずの彼女が、まるで迷子の子どものように傷ついた表情をしている。
 そうか、とナギサは遅まきながら気付いた。
 彼女だって、必死だったのだ。
 ずっと探していた初恋の相手をようやく見つけて、感情が昂ぶって、意地になって、慣れないアタックを仕掛けていただけだった。それをあんな冷徹な業務連絡モドキで一蹴されたのだから、ショックでないはずがない。

「あの、お嬢様、すみまぜ――」

 流石に良心が咎め、ナギサは謝罪しようとベッドから上体を起こす。

 ――コンコン。

 ノックの音と同時に扉が開き、ひんやりとした隙間風が部屋に流れ込んだ。