ポンコツ執事なのに、お嬢様に溺愛される

 だから、貴方の口から聞きたい。
 そう続ける代わりに、ナギサは指先に僅かに力を込めた。逃がさないとでも言うように。

「“しろさぎ孤児院”は、守るために閉じ込める家だった。外は危険だから、傷付くからって。だから子供達はあそこに集められて、選ばれて、ふるいにかけられる」
「……選別、ですか」
「ええ。優秀で、従順で、“壊れにくい子”だけを残すために」

 何故、イツキにゲームセンターから連れ出されて屋敷に来た時、すぐに思い出せなかったのか。
 “しらさぎ”ではなく、“しろさぎ”。
 変わり果てた外見の屋敷。けれど、壁の薄さはそのままの建物。
 
「じゃあ、落ちた子は?」
「“いなかったことになる”だけよ」

 親を失った子供が行き着く場所。そして、子供達が終わる場所。
 優秀な子供はいくらでもいる。少し大人しくて真面目な子供は、決まって従順だった。
 けれど、“壊れにくい子”というのはどうにも少なかったのである。
 孤児院でも抱えられる数には限りがある。上限から溢れ出せば、ふるいにかけられ消される。

「記録も、名前も、全部消される。あの孤児院はそのための場所。……外に出すためじゃない、選ぶための檻」

 ミアはそこで初めて、ナギサの方を見上げた。
 庭の端っこに蹲って泣いていた少女と同じ顔、それなのに涙は一粒も流れない。

「だから私、あそこにいる子達と遊んじゃいけなかったの。情が移ると、“選べなくなる”から」

 ――選ぶ側の人間だった。
 その事実は、細い声よりもずっと重くナギサの胸へ沈んでいく。

「私は、“あっち側”だったの」

 この話は、一体どれだけの人間が知っているのだろうか。
 イツキ、マアサ、カリン、ナオ、ルナ。
 同じ使用人の中で、世界中の金融を牛耳る白鷺家がかつて孤児院を営んでいたことを知っている人は、いったいどれだけいる。
 否、孤児院と彼らに何か関係はあるのだろうか。

「だから、皆は私を避けてた。優しくしたら駄目だって大人達に言われていたから。仲良くしたら、いざって時に切り捨てられなくなるでしょう?」
「……子供に背負わせることじゃない」
「でも、白鷺家はそういう家よ」

 怒りも悲しみもとうの昔に擦り切れてしまった声で、ミアは淡々と語る。

「選ばれた子は、新しい家族を与えられる。教育を受けて、“白鷺に相応しい人間”になる。逆に、選ばれなかった子は――」

 そこまで言いかけて、ミアは唇を閉ざした。
 ナギサの脳裏に、薄暗い廊下が過る。
 夜になる度に聞こえていた足音。
 誰かが泣く声。
 翌朝には空っぽになっているベッド。
 そして、大人達は決まってこう言うのだ。

『新しい家族が見つかったんだよ』

 ――違う。
 今なら分かる。あれは“消えた”のだ。

「……ナギサ?」

 呼ばれて、はっと我に返る。気づけば、ミアを抱く腕に強く力が入っていた。

「すみません」
「謝らないで」

 ミアは小さく首を横に振り、悲しげな目を伏せた。

「貴方だけじゃないもの。あそこにいた子達、皆そうだった」

 それは慰めではなく、諦めに近い響きだった。
 怯えて、黙って、従うことでしか生き残れなかった子供達。
 大人に気に入られるよう笑う子。
 泣かなくなる子。
 突然いなくなった友達の名前を、二度と口にしなくなる子。
 そうやって、皆少しずつ“壊れにくい子供”へ変えられていった。
 ミアは選ぶ側として、その光景を幼い頃から見せられ続けてきたのだろう。

「でも、一人だけいたの」
「……一人?」
「大人達に逆らって、何度消されかけても残ってた子」

 ナギサは息を呑む。ミアの声音が、僅かに変わったからだ。
 恐怖とも、戸惑いとも違う。もっと説明し難い感情。
 まるで、理解できない怪物を思い出しているような緊張感が辺りに漂う。

「右目に怪我をしても笑ってて、問題ばっかり起こして……皆から嫌われてたのに、どうしてかいなくならなかった」

 ミアはゆっくりと、包帯が巻かれたナギサの右手へ視線を落とした。
 知っているのだろう。その下に隠された傷が何を意味するのかを。

「ねぇ、ナギサ」

 部屋の空気が凍り付く。時計の秒針だけが、やけに大きく耳に響いた。

「貴方、本当に覚えてないの?」