誰もいないと思っていた空間に、突如として現れた先客。
気まずい雰囲気が辺りに流れる。
声を掛けるべきか、それともこのまま気配を消して教室へ引き返すべきか。
葛藤しながらも、凌の足は吸い寄せられるように、そっとその人物の後ろへと近づいていた。
一歩、また一歩と距離を詰め、その肩越しにスケッチブックの中身を覗き込む、その瞬間だった。
「あ!」
凌の口から、我知らず大きな声が飛び出していた。
静かな屋上に、突如として響き渡った凌の怒声。
流石に猛烈な勢いで絵を描いていたその人物も異変に気が付き、ビクッと肩を跳ね上がらせて凌へと視線を移した。その表情は、文字通り大袈裟なまでの驚きに満ちている。
「わあああああああ!!!!」
ひっくり返った悲鳴を上げて、その人物は画材を派手に鳴らしながら、ずるずると後ろへ後ずさる。
しかし、そんな大騒ぎしている彼女のリアクションよりも、凌の視線は、彼女が腕の中にぎゅっと抱え込んでいるスケッチブックの紙面へと釘付けになっていた。
そこに描かれていたのは、まだ塗りかけの、けれどあまりにも見覚えのある「青」だった。
凌は驚いて尻餅をついている彼女の前にガタッと膝をつき、我を忘れて身を乗り出す。
「その絵!」
「……っ、何……!?」
カチコチに固まる彼女の顔の近くまで距離を詰め、凌は興奮を抑えきれない声で捲し立てた。
「美術室の前に飾ってたやつっすよね。俺、昨日その絵を見て、すっごく綺麗だと思ったんすよ! だから……!」
完全に心の距離感を間違えて目を輝かせている凌。
一方で、見ず知らずの男子生徒にいきなり間近まで迫られた彼女は、スケッチブックを盾にするように胸元に抱え込み、あからさまに不審がるような目で凌を睨みつけた。
そんな時、突如として、先ほどよりもさらに激しい突風が、屋上のコンクリートを鳴らして二人を襲った。
ゴオオオ、と不気味な地鳴りのような音を立てて吹き荒れる風に、凌は思わず顔を顰めて強く目を瞑る。
一方で、謎の人物は悲鳴を噛み殺しながら、大切な宝物を守るようにスケッチブックを胸の前でぎゅっと強く抱きしめた。
彼女の長い髪が、視界を遮るように激しく宙を舞う。
しかし、風がさらっていったのは、彼女の髪だけではなかった。
パララララッ、と乾いた、不吉な音が屋上に響き渡る。
風の力に耐えきれず、彼女の周りに無造作に散らかっていた何枚もの絵やスケッチの用紙が、一斉に宙へと舞い上がったのだ。
「あっ! 絵が!」
目を開けた凌は、目の前の光景に思わず叫び声を上げていた。
青空をバックに色とりどりの絵の具が塗られた紙が、まるで大きな紙吹雪のようにバラバラと宙を躍っている。
「待って、今拾うから!」
凌は膝をついていた状態から勢いよく立ち上がった。
上履きでコンクリートを強く蹴り、風に流されてフェンスの向こうへと飛んでいこうとする絵を、必死に追いかけようとする。
一枚でも多く、彼女の大切な作品をその手で掴み取ろうと、遮二無二足を動かした。
「……いいよ。追わなくて」
だが、背後から聞こえてきたのは、風の音に消されそうなほど小さくて静かな声だった。
驚いた凌が、差し伸ばしかけていた手を止めて振り返る。その表情には、明らかな焦りと戸惑いが浮かんでいた。
今にもフェンスを越えて学校の外へ落ちてしまいそうな絵を前にして、どうしてそんな冷静でいられるのか。凌の目には、彼女の意図が全く理解できなかった。
しかし、振り返った凌の視線の先で、彼女はただ静かに首を振った。
胸の前でスケッチブックを強く抱きしめたまま、彼女はゆっくりと目を伏せる。
飛び散っていく自分の絵を、追おうとも、見ようともしない。
その横顔には、焦りも怒りもなく、ただ諦念に似た深い静寂だけが広がっていた。
空へ、そして遠くへと消えていく色鮮やかな紙切れを背景に、彼女だけがぽつりと、時の止まった世界に取り残されているようだった。
気まずい雰囲気が辺りに流れる。
声を掛けるべきか、それともこのまま気配を消して教室へ引き返すべきか。
葛藤しながらも、凌の足は吸い寄せられるように、そっとその人物の後ろへと近づいていた。
一歩、また一歩と距離を詰め、その肩越しにスケッチブックの中身を覗き込む、その瞬間だった。
「あ!」
凌の口から、我知らず大きな声が飛び出していた。
静かな屋上に、突如として響き渡った凌の怒声。
流石に猛烈な勢いで絵を描いていたその人物も異変に気が付き、ビクッと肩を跳ね上がらせて凌へと視線を移した。その表情は、文字通り大袈裟なまでの驚きに満ちている。
「わあああああああ!!!!」
ひっくり返った悲鳴を上げて、その人物は画材を派手に鳴らしながら、ずるずると後ろへ後ずさる。
しかし、そんな大騒ぎしている彼女のリアクションよりも、凌の視線は、彼女が腕の中にぎゅっと抱え込んでいるスケッチブックの紙面へと釘付けになっていた。
そこに描かれていたのは、まだ塗りかけの、けれどあまりにも見覚えのある「青」だった。
凌は驚いて尻餅をついている彼女の前にガタッと膝をつき、我を忘れて身を乗り出す。
「その絵!」
「……っ、何……!?」
カチコチに固まる彼女の顔の近くまで距離を詰め、凌は興奮を抑えきれない声で捲し立てた。
「美術室の前に飾ってたやつっすよね。俺、昨日その絵を見て、すっごく綺麗だと思ったんすよ! だから……!」
完全に心の距離感を間違えて目を輝かせている凌。
一方で、見ず知らずの男子生徒にいきなり間近まで迫られた彼女は、スケッチブックを盾にするように胸元に抱え込み、あからさまに不審がるような目で凌を睨みつけた。
そんな時、突如として、先ほどよりもさらに激しい突風が、屋上のコンクリートを鳴らして二人を襲った。
ゴオオオ、と不気味な地鳴りのような音を立てて吹き荒れる風に、凌は思わず顔を顰めて強く目を瞑る。
一方で、謎の人物は悲鳴を噛み殺しながら、大切な宝物を守るようにスケッチブックを胸の前でぎゅっと強く抱きしめた。
彼女の長い髪が、視界を遮るように激しく宙を舞う。
しかし、風がさらっていったのは、彼女の髪だけではなかった。
パララララッ、と乾いた、不吉な音が屋上に響き渡る。
風の力に耐えきれず、彼女の周りに無造作に散らかっていた何枚もの絵やスケッチの用紙が、一斉に宙へと舞い上がったのだ。
「あっ! 絵が!」
目を開けた凌は、目の前の光景に思わず叫び声を上げていた。
青空をバックに色とりどりの絵の具が塗られた紙が、まるで大きな紙吹雪のようにバラバラと宙を躍っている。
「待って、今拾うから!」
凌は膝をついていた状態から勢いよく立ち上がった。
上履きでコンクリートを強く蹴り、風に流されてフェンスの向こうへと飛んでいこうとする絵を、必死に追いかけようとする。
一枚でも多く、彼女の大切な作品をその手で掴み取ろうと、遮二無二足を動かした。
「……いいよ。追わなくて」
だが、背後から聞こえてきたのは、風の音に消されそうなほど小さくて静かな声だった。
驚いた凌が、差し伸ばしかけていた手を止めて振り返る。その表情には、明らかな焦りと戸惑いが浮かんでいた。
今にもフェンスを越えて学校の外へ落ちてしまいそうな絵を前にして、どうしてそんな冷静でいられるのか。凌の目には、彼女の意図が全く理解できなかった。
しかし、振り返った凌の視線の先で、彼女はただ静かに首を振った。
胸の前でスケッチブックを強く抱きしめたまま、彼女はゆっくりと目を伏せる。
飛び散っていく自分の絵を、追おうとも、見ようともしない。
その横顔には、焦りも怒りもなく、ただ諦念に似た深い静寂だけが広がっていた。
空へ、そして遠くへと消えていく色鮮やかな紙切れを背景に、彼女だけがぽつりと、時の止まった世界に取り残されているようだった。



