君の手が動く限り、俺は隣にいたいから

 ――キィンコォン、カンコォン……。
 心地良い四拍子のチャイムが校舎に染み渡り、四時間目の授業の始まりを告げる。
 あと一時間で昼休みという時間帯。教室内には、空腹と解放感を前にした、どこかそわそわとした空気が漂っていた。
 窓から差し込む春の柔らかな陽気が、生徒達の集中力を少しずつ削いでいく。
  凌は、右手にしたシャーペンを無意味にくるくると回しながら、広げたノートに目を落としていた。
 白紙のページには、授業の板書ではなく、ただいくつかの無意味な直線が乱雑に引かれているだけだ。
 ペンを握る指先には全く力が入っておらず、思考は目の前の黒板から遠く離れた別の場所に囚われていた。
 頭の中に浮かんでいるのは、昨日の放課後、あの静まり返った特別棟の廊下で出会った『青空の絵』のことだった。
 吸い込まれそうなほど深く、けれど何処か寂しげだったあの青。
 周囲の華やかな美術作品からぽっかりと浮き上がっていた、あの異質な空間。
 思い出すだけで、指先が微かに熱を持つような、奇妙な感覚が蘇ってくる。
 絵なんて大嫌いだ。自分には縁のない世界だ。そうやって言い聞かせているのに、目を閉じれば、今でもあのキャンバスに重ねられた絵の具の凹凸が鮮明に浮かび上がってくる。
 
「――以上の公式を踏まえて、次の応用問題に入ります。少しひねってありますが、基本の解き方さえ分かっていれば難しくはありません」
 
 教壇の上から、教科担当の教師の声が響く。黒板にチョークが当たる規則的な音が、眠気を誘う子守唄のように教室を支配していく。
 凌はその声を完全に BGM として聞き流していた。

 どうしてあんなデザインのパンフレットだったのだろう。
 どうして、あの先輩――綾瀬紫は、あんなに優しい顔で絵を見つめていたのだろう。
 外はこんなに騒がしいのに、あの場所だけどうしてあんなに静かだったのだろう。
 ぐるぐると同じ思考の渦に飲み込まれ、完全に意識が「ここではない何処か」へと飛んでいた、その時だった。
 
「それじゃあ、この問題を――藤代君」
「えっ!?」
 
 突如として自分の名前を呼ばれ、凌は跳ねるように顔を上げた。

 心臓がドクンと嫌な跳ね方をする。
 次の瞬間、教室内を包んでいた緩い空気が一変し、三十人近いクラスメイトの視線が一斉に自分へと突き刺さるのを感じた。
 前の席の三崎が、同情と焦りをない交ぜにしたような顔でちらりと振り返る。
 話を聞いていなかった凌には、今の状況が全く呑み込めない。
 教卓の向こうから、教科担当の教師が眼鏡の奥の目を険しくしてこちらを睨みつけている。
 
「……藤代君、聞こえませんでしたか?  黒板の問二の答えを言いなさい」
 
 促され、凌は慌ててガタゴトと音を立てて椅子を引き、席を立った。